白馬會展覧會水彩畫批評

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

晩霞
『みづゑ』第三十
明治40年11月3日

 公設美術展覽會に先立ち、白馬會展覽會は舊博覽會の二號館に於て十月七日より開會された、三宅克已君より招待券を送られ、九日の午前石井河合兩氏と共に參觀した、開會間も無き事であるから、出品者の姓名と畫題とが無く、批評する上に大に困難した、先づ水彩畫に就て感じたのは、今迄白馬會の展覽會には、水彩畫も油繪も混交して陣列されたので、自然水彩畫は調子が弱く、油繪に視力を奪はれて大に不利であつたが、本年は水彩畫陳列室を區分されて、水彩畫の光彩を一段添へたのは快感を覺えた、されど、一の室をして喫煙場としたのは如何のものにや、それは兎に角石井柏亭氏の評は左の通りである。
 

大阪講習會々員の一部(住吉)

 三宅君
 スケツチは數多くあるが、直感的のものが稀である樣に思ふ。(一〇一)の立木の畫は、黄ばんだ光線に充ちた暖い作である。日暮のやうなもので一寸感じのよいのもある。稍大きな三枚の如きは、力を盡されたものらしいが、殊更に古びさせた樣な色が面白くない。
 中澤君
 ヴイゴラスで面白いが、靑い影がよくこなれて居ないと思ふ。少し大きな松のある海岸の景は失敗の作だ。男の肖像はよく出來て居る。
 山本君
 水彩畫の水々した處はないが、忠實に寫されたる處をとる。次に河合新藏氏の評は
 三宅君
(一七五雲の色が單調で一色畫の樣である。
(一七六)河に添ふた土手の色が單調で流が動て居らぬ。
(一七七)日の當つて居る感じが乏しい、色が單調で印刷したものゝ如く變化に乏しい。
(一七八)比較的無雜の作である。
 スギタ君
 夕陽をうけた海岸の繪は佳作である。
 山本君
 平素の作より一段落ちて居る。
 次に余の慨評は向つて左側にある
 スギタ氏
 の海岸夕照の畫は心もちよく日が映じて居る、小作ではあるが忠責の寫生である。
 山本氏
 海岸の夕殘光が映じてそれが海に倒映して居る感じはよく現はれて居る、そして忠實の作であるところを大にとる。
 温泉塲の夜の景色、色も描き方も感じもよく出來て居る、電燈がいま少し強く光つたら更に可ならんと思ふ。
 富士の雲は少し堅過きた樣であるが正直な寫生であるから感じはよく現はれて居る、殊に中景の濃色が深味があつて、面白い。
 ホンマ氏
 夏の夕の道路山水で、色はよく現はれて居るが、一調で變化がないから遠近が現はれない、夕陽の空色はよく現はれて居る。
 三宅氏
 出品二十七牧、場中氏の畫を以て充されて居る、流石に專門家だけありて一段の光彩を放つて居る。然して海岸、小流、溪流平原、森、林、空、雪、といふ如く、日本の風景は凡て描てあるといふても差支ひない。先づ概評すれは、色彩が乏しく單調である、凡ての畫にいま少し變化色をほしい、雲、又は大作の溪流等は季の説明が出來て居ない、そして水は凡て仝じ樣に感ずる、色の強い夏の溪流、又は夏の海岸、初秋の森等は充分に感じが現はれて居る。夕暮の雪景色は色の調子がよく、感じも充分に現はれて居る。
 中澤氏奈良が面白く感じた、油繪よりは數等落ちる。大作で海岸の松があるが、松が強い色で地面が弱いから調和しない、が地面の色にいま少し深味があつたら佳作と思ふ。(完)
 

繪ハギキ競技會一等夕陽

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