遠州より


『みづゑ』第三十
明治40年11月3日

 拜啓
 夏草に交りて早き桔梗かなと申七草から、秋の花は咲き初め申候、山路野路が程を歩き候へば、山萩がこぼれ、ちゝろの虫が鳴き居り申候、をさな子がけさ百舌鳥がなきたる故天氣になるがうれしいと申候が、果して書近くより晴れて、靑空高く鱗雲がみえ申候、時は天下の秋となり申候。
 秋の草はみなすきにて候、七草はいはずもかな紫苑鶉頭雁來紅野菊穗薄みなすきにて候、秋海棠芙蓉朝顔木槿などいやといふには無之候も、總て鉢に庭にさかせたるよりも、野に山に咲きたるこそ、一入に有之候はめ。
 虫にても松蟲鈴蟲もすきにて候も、あまり枝巧を弄し過ぎはせぬかと、少しくいやにで候、破れたる古寺の軒の竈、くされたる賤が家の竹垣などに、ちゞろとなく★などが一番うれしく候、馬追機織さては轡虫などは、俗中の俗たるものなるべく候然し綜合したる蟲類(自然の上からみたる)としては、どれもこれもみなみなありてよろしかるべく若し、人としても藝術家としても、全體の上よりみるときは、變化多樣なるをこそ貴み申すべく、自己の好き嫌ひと云ふ點より價値は定り申まじく候。兎に角秋の風物は目に音にさやかにして、清くすみたるところ一點の濁もよどみもなき處が、うれくし候、クワンとしたる高い響は秋より外には無之候、これからがその秋にて候、吟腸そゞろに興を催し申候。
 旅は人を新ならしめ申候、旅行を知らず旅行を貴ばざる人は趣味ある人にては無之候、族行に重を置かざる美術家は美術家にては無之候、文學家でも美術家でも、素人でも、黑人でも、旅行の味を解さぬものは、藝術家にあらず、藝術を尊む人にては無之候、自己の見界を廣めるのは、自己の藝術的才能を廣むるにて候、自己の新奇なる見聞は、自己の價値を作る處の基礎にて候。飽の來たる美術文學は、陳腐平凡なるものにて候、否々墮落せる美術文學にて候、理想の那邊にあるかを疑はする美術文學は、此世に詒す處の美術文學にては無之候、敢て旅には限り不申候も、旅は庇好個の一手段にて有之候。
 今夏に於ける御旅行の詩嚢畫嚢はさこそと思ひ偲び申候。白根山白馬が嶽の頂に小な黑點を印せしは、先生が姿なりけめと心中に此景色を彷彿せしめ申候。
 ゆつくりと拜聽の時を期し申候。
 迂生未だ故郷に在り申候、到底我々の生活は天地と共に悠々たるものにて候、藝術を尊重し自然を憧憬し得れば足り申候、敢て美術家藝術家といふ肩書を要し不申候、意を抂げ節を屈してもかゝる虚名のもとに、世に出でたくなきものと思ひ申候、少しく消極的に傾ける論議なるやも不存候もこれが自分の主義にて候。
 兎に角、變化と向上とを有することに於て、面白き世の中にて候。
 あるときは又アービングのスケツチブツクにある、リツプヴアンヴインクルの如き意氣地なき性格に、似たる考なりやとも思ひ申候、然しそれ程無意味に世を終りたくもなきものと思ひ候、世に處する道を第一番に頭に置き候必要可有候。
 竹林に詩をやり、清澗に茗を啜り候のみにては、今人のすべきことにては無之候、無意味に繪を習ひ職業(金を得る爲)の爲めに繪を學び候、徒輩の多き、迂生の最も與せざるところに有之候、人は人としてすべからく高い頭を作らねば相成まじく候、それは藝術家に限り不申、一般の人々に渡ることにて候、人格より出でたる、自然より出でたる、客觀主觀の藝術的作品をこそ待ち憧れ申はべれ。
 以上は一論として「みづゑ」へでも書き申度と思ひ候へども、それ程のことにても無之かと差止め申候。
 迂生急に上京致すやも難計、或は今しばらく引籠り居るやも難計、どの道畫を學び申候ことも、死ぬまでにて宜布存候、死までの仕事にて候。
 例の拙著不怠やり居候も、至つて遲々たるものにて候、其内何か出來申哉とも思ひ居申候、御一臂をかり申候運に會し候へばうれしき限りと思ひ居申候。
 度々御雲箋を拜し難有奉存候。
 餘事のみ申上候、餘は後便に讓り申候匇々頓首
 絡繹の塵しほたれの木槿かな
 丁未新秋故里にて畔川生
 丸山先生几右

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