ピーター、デ、ウイント[二]
青人
『みづゑ』第三十一 P.18-20
明治40年12月3日
ピーターの父ヘンレー、デ、ウイントが此の結婚は一七七三年に父よりの故障にて思止まることゝはなんぬ。其後に結婚しけるは米國富豪の從妹なりき。ヘンレーは妻あるを秘して親元に言遣らざりしかども、終に知る處となりて、其結婚を拒まれ、其上に勘當の身とはなりぬ。かく扶持放れとなりけるとき、既に二子ありしが、サウスウエールスにてカーデイフの隣にて開業しぬ。されどこゝにも住み易からず、一七八一年にスタフオード、シヤイアのストーンにて獨立に開業したりける。こゝは遂には中位の成功なりき。ストーンにては十子を得て、ピーターは其第四子にて、地上に來れるは實に一七八四年二月二十一日なりき。
家族の口碑によれば、ピーターは幼時より小兒らしき處絶てなく、常に惡戯を好み、喜んで樺の棒を削り、これを鳴らすことを好みしとぞ。豎子獨り森あるは原野に入りて、樹木の發達を熟視し、或は鳥獣の習癖を研究しつゝありき。それより學校にあるときは、自身の慰の爲めに畫を描くのみならず、朋輩に寫生の方法を教へつゝありしとぞ。氏は幼時より、美術家たるの性行を持して、曾て此の初一念を破らざりき。氏は和蘭と蘇格土蘭人種の血を混えたる人なれば、頗る友諠的の愛らしき處はなかりしも、剛頑にして忍耐力に富める執拗なる性質を有しぬ。
氏が父は氏をして醫師たらしむべき希望なりしかば、ピーターは餘儀なくもこれを修むることゝはなりしも、傍ら自己の好む處に志しぬ。其好む處とはいふまでもなく繪畫にて、スタツフオードのローガース(Roges)氏に就て學べるなりき。實に氏が忍耐と機智とにて、醫學畫學共に進歩しける。
一八〇二年四月第一の金曜日にデ、ウイントは倫敦にて畫學を修めんために故郷を辭しぬ。氏の兩親明友等はかゝる幸運の日に開業せんことを一向に勸めけるも、早々に訣別の辭をのこして出で行きぬ。其後果して此四月第一金曜日が幸運の日にてありしかば、祝日として氏は歡迎したり。氏が倫敦行の目的は銅版師のジヨシ、ラフアイル、スミスの徒弟となるにありき。此の人はターナー、ギルチンの色印刷をなしたる人なりき。スミスは好畫家にて、遊戯好なり。或批評家は氏がプライズリング(賭事也)闘鶏等を好みしを喜ばざりき。氏は面白可笑しく酒に日を暮しぬ。たまたま金錢の欠乏を告くるに至れば、一時に仕事を澤にし、銅版等は措いて顧みず、例之ばスミスの親戚者の證言によれば、氏は一週間に堊筆の肖像を四十枚餘を描きて、そを一枚一ギニー位にて賣りしとぞ。何れも一時間餘のなぐり書きなれども六日に四十枚は容易の業ならざるなり。スミスは缺點の多き人なりしも、親切にて我儘ならず、常に門葉を助くる事に熱心なりしかば、自身に得たる金額をも各自に分配して吝まざりき。さればスミスは概していへば良師たりしなり。道徳堅固なるデ、ウイントも實にスミスが派手なる遣り方には少からず感化せられたらん如し。
スミス氏との契約書はコーヴエントガーデン、キングストリートにて、スミス氏と共に同棲してより數週間の後、即ち一八〇二年六月七日に調印濟となりぬ。通常の規定は年季七年なりしも、醫師デ、ウイントはその子に利子を仕拂ふ換りとして、更に一年を増すことゝなしぬ。これーピター、デ、ウイントが繪畫の教育を受けたる最初なりき。それより次の四年間は甚だ多忙にて、パステルを描き、手に彫刻をし、又或時はスミス氏と共に釣魚に隨伴し、師が遊ひつゝある間に、氏は寫生を爲すが如き有樣なりき。氏は幸福なる方法にて勉強しぬ。そは同窓の友たり、同門葉たる未來のアカヂミシアンのウィリアム。ヒルトン氏(其當時は僅に十六歳)と共に同伴せしことが此の上なき樂なりける。
ヒルトンはデ、ウイントより二年後の後進なりき。内氣強ちに感情深きヒルトンはデ、ウイントの猛犬的の决斷を嘆稱して措かざりき。又デ、ウイントもヒルトンの稱賛を喜んで聞き居たりぬ。これが爲に、共に直に友誼の成立ちて、美術史上に最も長き眞の友誼を傅へけるなり。ヒルトンは往々絶望の狂熱に陷りて、デ、ウイントを誘惑することありしも、デ、ウイントは冷靜に自己を持して、正道を踏んで動せず、一度かゝる話ありき。そはヒルトンが自己の嫌悪なる困難なる事の起りければ、師の許より逃亡せんと決しぬ。これを親友に依頼して、リンコルンにある己が家に出來得る丈急速に逃走しける。ラフアエル、スミスはその門葉の天才を失ひしかば、デ、ウイントに怠惰者のヒルトンの何處に逃走せるやを追窮しぬ。デ、ヴイントは再三親友の秘密を露洩せんことを拒みぬ。老父アンテイツクの法律に對して、デウイントは頑迷なる門葉なりしかば、法庭に曳かれて、遂に獄中の人となりぬ。これに類せる話あり、そはギルチンと其師との間の爭なりき。ギルチンの囚人となりけるはデ、ウイントの場合とは趣を異にして、あまりに不愉快にてあらざりき。其故はエセツクスの伯爵がギルチンを放釋して、氏の約定書を買上げければなり。かゝることはピーターには起らざりき。ピーターは獨り囹圉の下に伸吟しぬ。此の事ヒルトンの耳に入りしかば、リンコルンより驅付けつ、氏を救出しける。其後スミスの心も解け、二人を宥免するに至りぬ。
二人共に師の許に歸りて仕事を續けつ。間もなく國内危急の秋に到りぬ。そはナポレオンが威風頂點に達して國土を席巻して、侵入威嚇しければなり。倫敦市中競々として騒かしく、國内諸方より義勇兵を募集するに至りぬ。ヒルトン、デ、ウイントも其義務を果さんが爲に徴募に應じぬ。而してセントマーゲツト及セントジヨンの義勇兵大隊へと編入せられぬ。二人共に練兵を受け、銃の眞直射撃を習得したりしや否やは、知る能はざれども、この義勇兵編入の事は二氏が性質を知るの利便として、こゝに特書すべきことにこそ。