大阪より
鈴木雪哉スズキセッサイ(1875-1945) 作者一覧へ
鈴木雪哉
『みづゑ』第三十一 P.21
明治40年12月3日
拜啓本年の水彩畫夏期講習會は小生一生中の最好紀念日に候につき、炎暑燬くが如き大阪の夏は却へつて胸中の荊辣をやきはらひ、風格自ら塵外に向上せし折柄斯道の先覺大下大橋兩講師(松原講師當時嚴父御逝去のため缺席)の懇篤精透なる御指導の下にみづゑの順序御教授に預り候段は返へす返へす難有仕合に奉存候。
往年東京美術學佼にて學び候邦畫、此の好き變化に遇ひ、大下講師の所謂鬼に金棒、又砲炮の武器先づ備はり、自然の畫趣人爲の妙趣を看取する自由を得候は、實に仕合千萬に御座候。自然の畫趣に背戻して、師傳萬能、粉本萬能、筆勢賦彩萬能に滿足し得々たる多くの邦畫家は氣の毒のものに御座候。
兩講師の鐵鎚は痛く小生の闇頭を打ちて明頭たらしめし音響今に繼續、餘韻嫋々人の話がよく分り、己れの非もよく分るやうに相成申候呵々。
兩講師の講生に臨まれし態度に如何にと申すに、誇張虚飾なく、純眞無雜、講話極めて平易淡如了解に苦まず、興味從って湧き、雅趣懐に充ち、時の遷るを惜み申候、此處恐らく講生一同の深く感謝にたへぬ次第と愚考仕候。
講期は十六日間の短期に候へしが、研究は源泉に付、末流は如何に長く深大なる事を憶念仕候。
諸期中(朝より夕に至る)一日の休日なし、講師も講生も勇戰猛闘、通身の流汗大雨の如く、地上六十の三脚を漂はし申候、痛快痛快斯く講師の空日なく、精勵職に當られたは恐縮敬候。傅へ聞く、當時兩講師未明起床、講生に接する前僅々の時間を善用して附近の寫生に餘念なかりしと、眞に懦夫をして起たしむべき隠約不言の教導と存候。
重ねて小生の忘るべからざる事は、第一高等學校生金森君、韓國より遙々來會せし錦織君の如き、元氣天を衝ぐ青衫英雄と同宿し、毎日おもしろくおかしく畫談に耽り、下宿の樓上爲めに夏なく、清風座に起り、何とも云ひしれぬ佳境に講期間を過し候ひつ、人世の愉快一端に御座候。
末紙駄句ニ三首、兩講師の御一笑に供へ申候、敬具
十一月十一日雪頓首
○煙草やめてみづゑ稽古の暑さかな
講師曰ふ、煙草の煙は繪の保存上に害がある
○煙草やめて緑蔭に半奇峯みる
講師曰ふ、畫家は畫に忠實であればよい、物慾を思ふやうでは駄目です