安中みずゑ會記事

三十六公
『みづゑ』第三十一
明治40年12月3日

 本會設立に就いて其の種蒔をされたのは根岸君で適度の温熱と濕氣とを與へて其の萌芽を見る事を得させたのは丸山先生である吾々會員は兩氏の勞を決して忘れてはならない。滿山紅を染むる霜月二十七日は本會第一回の開會で有つた待ち焦れた丸山先生に接して居る間は僅かに數時間で有つたが其の得た知識は實に多大で有つた事を皆喜んで居る。斯く多大の結果を得たのは勿論講師の手腕に因るのであるが又一つには會員の熱心と其の方法が良かつたからであらう。午前に作品批評と講話をされた午後は其の講話された事を野外に於て實地に筆を執つて示されたのである而かも其の書かれた場所は我が地方の景色に大概出て來て又其の應用の範圍の廣い材料が澤山有る所であつたから其の得たる所が多かつたのである。是迄の経験に依るとどうしても專門家の肉筆を見たり模寫したりするより外に捷徑は無い樣だ專門に研究する人でも先づ先輩の遣り方を一通り調べてそれから實地に當つてそれ以上の工夫をするのであらう吾々は娯樂の爲に繪を書くので研究などいふ資格がないのであるであるから吾々は何も書けない物を無理に書きたがるには及ばない先づ第一に大家の肉筆を見たり模寫したりして其の得た知識を以て描けるだけの物を描いて居れは充分樂みになるのである吾々は丸山河合兩先生が惜氣も無く神作を本會へ貸して下さるのを此の上も無く有り難い事に思ふ。吾々は初は講義録體の物に由つて模寫したものであるが其の説明通りに繪具を交ぜてもどうしても其の色が出ないそこで始めて肉筆と違つてゐるのではあるまいかと氣がついたのであるそれからどうかして度々大家の肉筆を見たり模寫したりする機會を得たいと心がけて居つたので有るが今は本會の設立に依つて其の大願が成就した譯である數里を遠しとせずして本會に加入された者も數名あるが大方講義録などの價値の少い事を認めた方であらう

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