寄書 落葉籠

凸坊
『みづゑ』第三十一
明治40年12月3日

○或る一部分のみ見て寫生すると全體のつり合ひがとれぬから始終目を全體にそゝいて描くがよい例へば人物でも其目ばかり見て描くと大きくなり過たり小さすぎたりする
○何處でも同じ樣ではいかぬ強い處や弱い處があつてこそ面白みも出來るので雷でも唯ごろごろといふばかりではいかぬピカピカと光るのやピシヤと落ちる樣なのもあつて初めて調子がとれる
○光線を直角に受けたのと斜めに受けたのとは相違がなくてはいかぬ例へば樹木の幹に當つた光線と平地を輝した光線の強弱の樣なものだ(以上某先生評)
○早く寫生すると云ふ事は場合に依つては必要であるが自然を眞面目に寫生しようと思つたら中々そう着々とはいかぬ早く出來そうな筈がない、いくら寫生しても觀察が粗で苦しみがなかつたら進歩も何もない、兎角所謂チャランポランが出て來て困る
○嫌やになつたら直に止めて亦次の日にする、すると新らしい觀察や描法の上に於て大に得る處がある翌日實景と比較して見て悪いと感じた處は得心する迄補正する
○補正の爲に幾度も色を重ねたりいぢつたりすると色がにごるそうかと云ふて其儘では尚いかぬしいまいましいものだ一度色をぬつてぬれている間は再びさわることは大禁物だかわく迄其儘にしておく多少色がわるいと思つても後からいくらも補正することが出來る
○道路の兩側の線の如何に依つて其景の趣に大關係を及ぼす廣き原野の如き場合に其色彩の遠近にもよるが其灣曲せる道路の線によりて遠くも見え案外近くも見える見取枠など用ひて大に研究すべしだ、
○森の中なとの寫生に樹葉の色を一寸見ると暗い爲に黄色はそう目立たないが案外多く黄色を含んでいることがある
○草を描く場合に其蔭の描き樣に依つて草の長短が現れる筆を大きく使へば長く見へ細く使ふと短くなる
○何度寫生しても思はしく描けず一二週間は寫生の事とも思はぬときに水彩畫階梯やみづゑ等を讀むと亦急に寫生に行きたくなる、寫生して歸つたら畫を取り出して自分で遠近、色彩、輪廓、明暗、等よくよく公平な目で見る全體が寒いとか遠近が現れぬとか云ふことは毎度ある、そしたら出來るだけ補正すると大に悟ることがあるだろー
○或る人の談話中の一節に吾々の服膺すべき金言があつたそれは果物など寫生したる畫に其實は熟した色を呈しながら葉は未熟のときの色をしているなどのを往々見受ける畫そんな畫は有難くないと、局外者にさへ是だけの研究あり勿論こんなことは充分承知でいて實際はそうはいかぬらしい吾々は忠實に自然を研究して如斯誤きなき樣に心掛くべきであるまいか

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