再び松に就て

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

丸山晩霞
『みづゑ』第三十二
明治41年1月3日

 戊申新春の勅題は『社頭の松』で昨年と等しく又松である。松は目出度し。松に就ての雜感を昨春も述べたが本年も又再び雜感を記述する。
 松の種類
 現時日本にある松の種類は舶來種を除きて十種余りあるさふだ、が余の知れるものは(學名にあらず)黑松赤松姫小松五葉松偃松落葉松の六種である
 日本の松
 といふと黑松と赤松とが代表されて居る、そして古來日本畫に描かれた松は、皆仝じ描寫法であつて、畫の上に於てこれ等の區別が現はれて居らぬ、勿論寫生せぬのであるから無理も無いが、この二松には頗る相違がある、今これを比較して相違して居る點を擧れば次表の如くである。
 黑松
 繁植地低地海岸に尤も多く海抜千尺位の地を限りてそれより以上に少し
 樹態粗にして割合に直状多く細枝少し、若木は直線的、古樹もあまり垂下せず
 樹根海岸の砂地にあるものは波又は風雨に浸蝕さるゝため根を現はして居る
 色彩全體に黑味多く枝幹濃灰色、若木の葉は深緑、古樹は少しく靑味を含む、芽は白き故に芽白松ともいふ
 葉太く長く粗なり
 赤松
 繁殖地高地海抜千尺以上五千尺位下の地を限りてそれより以下は割合に少し
 樹態密にして割合に曲状多く細枝又多く若木は直線的なるも古樹は曲状をなして垂下す
 樹根高地にて海岸の如き所無きため根を現はしたもの割合に少し
 色彩全體に黄味多く雨露に觸れざる枝幹は赤茶色を呈し葉は黄味多き緑色、雨露に觸し枝幹は紫灰色を呈す芽は赤茶色
 葉細く短く密なり
 これ丈の相違を見出すのである。低地の海岸一帶は多くこの黑松で、細波を寄する砂地にも怒濤の打ち碎ける斷崖にも、根を張り枝を垂れ、烈風雨に抗して折れず曲らず、如何にも雄々しき美態を現はして、日本海岸風景の好畫材を占めて居る、殊に根を浮かせたる砂地の松は特種の趣がある、白砂靑松四季を通じて美しいのである。東海道五十三次は古來詩畫の品題に上りて居るが、こゝより松といふものを取り去つたら、如何にも無趣味のものになるであらふ。東海道の風流旅行を思ひ立つとせんか、そこにはこれといふ季に就て特種のものが無いから、何時にても面白い、その面白いのは、昔の如く宿場旅籠や大名の行列を見る事は出來ないが、昔と等しい松並木は今も殘つて居る、磯に碎ける白波を松樹の間に望み、松風に耳を澄まし、あれは大島こなたは箱根よと、松の根がたに腰打ちかけて、沖の白帆を眺めつゝ、敷島一本の煙り、如何に趣味津々であらふ。道中筋の松並木よ、汝を見るは雨に好し月に好し風によし、朝に好し夕に好し、更に霞に好し霧に好い、汝は四季一調にして一の變化無きも、汝を彩りて美はしうなさしめるは如上の美衣である、この美衣のあらん限りには汝はとこしへに美はしいのである。余は海岸の景と東海道の景は黑松にある事を是認す。
 赤松これも面白い、四里の碓氷嶺を上りつめて下りの無いといふ信州の高原は皆この赤松である、樫や椎の常盤木樹の無い寒國の冬に緑を呈するのは松である、斷崖絶壁に懸り根を張り枝を垂れて趣を添ゆるのも松である、烈風積雪に抗して屈せざる趣を現はすのも赤松の樹態に見らるゝのである、余は松を愛ししかも絶對に愛するのである、然るに松を亡國樹であるといふ事を屡々耳にす、余はこの説を非定するのである。
 松を亡國樹といふ彼等のいふところを聞くと、松樹は土壤を荒敗せしむるものにて、これを伐採したあとの地には植産を得る事が出來ないとの事である、がこれは甚だ間違つた説である、余より言はしむると、日本には松といふ樹があるため、大陸地方に見る沙漠的死地にはならないのである、松を除いた他の木にありては、人間があまり亂伐すると繁殖力を失ふて絶ゆるのである、そこで松といふ勇猛な木があるため、この荒敗地にどしどしやつて來て繁殖するのである。荒敗するといふ意味よりいふと松以外の樹が亡國樹といふてもよい。人間が繁殖すると草木を亂伐する事が多くなる、草木が漸々缺乏して行く極みは、豐饒なる國も破壞滅亡に至らしむるのである、乳と密とに溢れ穀と菜とに充ちた國も、今は灰塵となつたその例は中央亞細亞及び支那朝鮮等に見るのである、手近の例は今の東都である、十數年前までは樹木欝葱として晝も暗かった上野の森も、樹木は年々枯死して、今の割合に枯死すると數十年の後には沙漠に變ずるのであらふ、年々枯死する樹木の中で松のみは中々盛んな勢である、芝公園の松樹は今も昔も變らないのである。前にも述べた如く海岸の砂や又は火山の灰を充した淺間高原の荒敗地に、如何なる樹を植込んでも生育するものでない、然るに松は自生して勢力を示して居る。今地の開ける順序をいふと、最初は落葉樹を伐採すると、そのあとは松林と化し松林は畑となり終には庭宅と成るのである。松の勢力あるを見ても、世の極みの植物界に於ける生存竸爭の結果は、全く松が勝利を得る事であらふと思ふ、松樹は决して亡國樹では無い、松樹あればこそ日本は永久に生氣ある緑の國となつて居る事が出來る、余は松を富國樹であると仝時に日本には松が尤も目出度樹である事を是認す。
 松と人間とは大なる關係がある。松は日本固有のものでありしか又は西方より舶來したものであるかは科學專門家に糺して、松は人間に附隨して繁殖して行くものであるといふ事を認めた、日本は西方から人間が繁殖して來たものとすれは、慥に松もこれに附隨して東北地方に繁殖したものである。日本は何れの地に到るも松を見る(北海道には絶無といふ)松林は人家より多くて五六里程しか廣がつて居らぬ、故に深山等にありて路に迷ふたとき、松を見ればその近くに村里のあると思ふて差支ひ無い。今高山に登るか又は深山に分け入るとき、村里の旅亭より登足すると、その附近は必ず松林帶を踏んで、それより濶葉植帶に入り、更に針葉樹帶より灌木帶に入るといふのが順序である。
 落葉松これも高地に繁殖するもので、殊に深山高嶺に自生して、他の松とは趣きを異にして居る、落葉するだけ他の松よりは直状を呈し、高嶺に散點する古樹に至りては曲状して高潔の趣きがある、幹大く枝末細密にして、春の萠芽は淡黄緑を呈して美しく、初夏には燃ゆる如き緑色を帶び、盛夏には靑昧の勝ちたる深緑色となり、秋の霜葉は純黄金色を呈して頗る美彩である、更に美はしきは嚴寒の頃雲霧の鎖してそれが細密の枝に凍りて、百千萬の銀針を植たる如くこれを氷花といふ、この眺めは雪花のそれに勝りたる一種の美觀で、霞の中に咲き亂れたる山櫻を見る如くである。
 姫小松五葉松これ又高山のものにて他の松の如く叢林をなさない、各所に散在して樹態は何れも赤松に似て、姫小松は葉短かく密叢して圓味を帶び、色は靑味勝ちの緑である。五葉松は葉長くして粗、色は前者に比して黄味多し、何れも深山のものなれは、枝より枝に猿麻★等附着して居る。松毬は何れも他のものよりも大きい。五葉松といふのは、凡て松の葉は二の數で出來て居つて、「枯て落ちても二人連」等俚謠等に歌はれて居るが、五葉松姫小松偃松は皆五の數で出來て居る、序に言ふが、米國にありしとき各所の松を調べて見ると、何れも三の數で出來て居つた。
 偃松これは雲深き高嶺の面を密叢して這ふて居る、海抜七千尺以上の高嶺には必ずありて、幹を容易に見出す事が出來ないのである。鬱葱たる偃松、何時もこれに接すると仙化した樣な感が起る。この松の中には黑百合の花開き雷鳥鳴きて神秘的である、余の見たるものゝうちにて尤も大なる帶は信州蓼科山である、七合目位より頂顛に到るまで一面に纒ふて居る、この根もとを古來より探り出だせしものが無いとの事で又この中には白鷄住みて曙天に時を歌ふとの事である。余は或夏登山してこの間に露宿をしたが、山靜にして無靜、鷄鳴も聞かなかつたが、そのとき十三夜の月に對したときは何共いふ事の出來ない好い感じがあつた(了)

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