新玉の御祝儀

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第三十二
明治41年1月3日

 御目出とう。昔ならば見猿。云は猿。聞か猿。と云つて申歳に因んて殊勝を裝をふ處であろうが。今の世の中はそんな手ぬるい事で用が辨じない。凡て見る猿。云ふ猿。聞く猿。と來なければうそだ。殊に畫の如き込入ったものを研究せらるゝ靑年諸君は何んでも目の屆くだけ見。耳の及ぶだけ聞き。日の續くだけ云ひ給ふべし。かくして爰に始めて研究が出來修業が積むと云ふものである。どうにか時世に遅れずに行かれると云ふのである。我熱心なる同好諸君は從來とても皆此心得で御油斷の有らう筈は無かろうが。今年よりは殊に一層の御用心を以て猿まなこに成て研究し給ふに於ては。追々成長して猩々となり即ち賞状をも得たまはゞ大に喜んで狒々と笑ひたまふべし。勉強は凡て若い時に限るもので僕輩如き老域に達するときは最早駄目である。おいらもお前方の時代には隨分勉強もしたものだよ。ナンテ炬燵から半分顔をだして水鼻をかむようになつてはもう市が榮へてしまつてお仕舞だ。小供の時分僕は「猿は手を持つ蟻はスネをもつ月を見よ」と云つて英語を習つたもんだが。今時馬鹿々々しいこんな事を教へる處は無い。畫の研究とてもその如くで。此頃は研究の方法がちやんと定まつて居るから其通り付いて行けばよい。僕の若い時分には第一ワツトマン紙と云ふものが滅多にない。諸君のお馴染の文房堂なるものがまだ無い。水彩畫と云ふものは何んだか能く分らない。髪結床に。ランプの側で碁を打つて居る油畫が懸てあるのを見て吃驚仰天したような次第である。今や白熱燈が闇を破つて輝けるの感ある上に。今度水彩畫研究所も出來又た水彩畫會も組織されたるからには鬼に金棒。我勝に勉強さへすれば月桂冠は其人のものである。新しき年と共に新らしき研究機關を迎へたるは誠に同慶の次第で。恭しく萬歳を三唱して祝儀を申上げ。何れ又理屈張った學術談は次面の誌上にお邪魔することゝして。爺猿はお暇を申す。
 

カツサン氏鉛筆臨本の内

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