繪日記

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第三十二
明治41年1月3日

 新年早々に諸君に實行して貰いたいのは繪日記をつけることである。繪日記といふのは、其日其日の出來事を繪畫で寫して置のである、文字で日記をつける代りに繪で描いて置くのである、文字でかく日記は兎角怠り勝になるものであるが、繪で描くのであると、非常に興味が多いため决してそのような心配はない、そして直接の利益は、毎日々々畫筆を持つため、技術の練習は知らず知らず出來る、其日の出來事の重なるもの、紀念すべきものを、寫しスケツチする事が出來るなら、これによつて寫生の力が進む、また夜に入つて回想して描くとすれば、記憶畫の修練になる、そして大なる利益は、他日所用のため日記より或る事を探り出さんとする時、文字の日記は煩はしくも一々讀みて求めねばならぬけれど、繪日記は一目見れば直ちに尋ね出す事が出來る、その上時過て繰返して見ても與味多く、又日々幾分宛でも進歩してゆのであるら樂しみも深いのである。
 

カッサン氏鉛筆臨本の内

 繪日記は何て描いてもよいが、着色すると中々面倒で、忙しい時など終に後廻しとなる恐れがある。経驗上一番よいのは鉛筆畫である、色鉛筆も面白くない、鉛色はB印一本でよい、一々輪廓など取るやうでは、時間潰しである、日記帳は、新聞紙より稍厚味のある粗末な白紙のノートブツクが適當である、大いさは隨意であるが、私は四六判を用ひてゐる。
 繪は出來る丈け簡單がよいが、時間のある時には叮嚀なものを描くのもよからう紙は一日一枚とは限らぬ、出來事の多い日には五枚十枚描いてもよいが、今日は何もないといふて白紙にして置くのはわるい、材料としては何でも其日の出來事、見た事、時には聞いた事を想像して描くのもよい、いよいよ何も描くものがなければ、そこらに有合せの器物を寫生したらよい、書物一册あれば、置場處や開閉の工合で十種位ひは變つた形が得られる、それを一日一枚寫生すればよい。又毎日の事を描く上にも、位置など工風して、面白く詩趣のあるやうに排列することが肝要である。
 繪日記だからといふて文字を書かぬといふのではない、繪が主であつて文字が客であるので、月日晴曇の類は勿論、訪問來訪其日に爲たる事などを手短かに書いて置のは寧ろ必要である、歌か俳句でも書いて置けば猶々結構であらう。
 繪畫に趣味のある諸君は、試みに本年から實行して御覽なさい、上手に描かうと思つてはいけぬ、最初は何でもよろしい、不得要領でも構はぬ、毎日々々描いてゆくうちには段々體を爲して來て、終には筆が自在になる、そして年末に至つて引張り出して見ると、實に言ひ知らぬ大なる愉快を感ずることでありませう。
 そのうち私の昨年の日記のうちから、二三葉抜いてお目にかけませう。
 

サー.ドクラス筆

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