寄書 手製の傘臺と三脚床几

M生
『みづゑ』第三十二
明治41年1月3日

 傘臺は僕のは午の柄が曲つてゐるので、初め柄の入るほどの竹四尺許りを取り太き方を上端となし、その一側の上端より二寸切りかぎ柄を橫より篏めるに適せしむる、而して稍稍廻轉しつゝ下方に押し下げ得るやう切りかぎ更に今一回同樣にする、尤も傘によつて異なるが、僕のは太くないから、この巾四分長さ五寸足らずにしてゐる、かく二回廻轉しつゝ押しさけおけば、大概の風には結構に堪ゆる茲に注意すべきは、上端に節の存するやうすべきである、而してこれを中央にてニツに切り、それに堅く外接する太さの竹四寸許を取り下部の上端に半長を固定し半長を殘し置きて、使用の際上部の下端を挿入するやうなしおけば携帶に不便も感じない
 次は三脚床几だが直徑七分長さ一尺六寸許の樫木三本を取り一方へ稍稍細く削づる、而して西洋釘の太きを撰び二本を具へ、先づ該樫木二本を並行せしめ釘を挿すべき穴を穿ち、次にその一本と他の一本とを同樣にし、穴と穴とは矩形より稍狹き角を保たしめ互に摩り交ふ程にす、かくて二本の釘を挿し三本密を接せしめて先端を抂げる、然る後力を用ひて三本の各端を三方に擴ぐると釘は拗れて開閉に適するやう宜い鹽梅になる、これで大體は出來た、僕はこの上端を苧繩にて連結し各邊より數個の網目を作りこの上に三角尻布團を載せる趣向にしてゐる、かくて傘臺と共に布の袋に收畫嚢の一面につけて歩るくのであります

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