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『みづゑ』第三十二
明治41年1月3日

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 □本誌號を重ぬることこゝに三十二、編者の多忙と經濟に餘裕なきとにより何等向上進歩の跡なきに拘はらず、多年愛讀を給はりし讀者に深く御禮申上候
 □昨年は日本水彩畫會の創立あり、水彩畫研究所の新設あり、旁々雜誌の方面に多く力を致すこと能はざりしが、それ等の事業も追々整理相つき候に付、本年よりは本誌の發展に向つて一同力を盡す計畫に御座候
 □其發展の方法については、讀者諸君の御助力を仰ぐこと多かるべく、委細は次號に發表可致候
 □本號の口繪は甲州日野春より見たる富士山にして、原畫ワツトマン九ツ切に御座候
 □次號には畔川氏の『藝術小言』と云ふ有益なる講話、石川欽一郎の『アレフレツーイースト氏の寫生談、霧鴎生の『水』の續稿、大下氏の靜物畫の話のつゞきを掲載すべし
 □中繪應募者のうち、外山氏の分は色淋しく候へ共圖柄面白ければ寫眞版と致候。住田氏の分はそのうち石版に附し可申候、他の諸君のは當分採用致兼候
 □中繪は季節に不拘、又圖案と繪畫とは不問候問、奮つて御投稿被下度候

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