靜物寫生の話[二]
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第三十三
明治41年2月3日
△寫生すべき材料が小なるものであつたら箱か机の上に載せてもよいが、座って畫く場合には疊の上其儘でも差支ない、併し畫者の眼と被寫物とは二十度以内の角度を保つてゐなければならぬ、被寫物と眼と平行してもいけぬがあまり近く見下すやうでも困る、但し鴨居に吊した鳥などを寫す場合のほか見上げて畫く事は殆どない。
△材料の位置は最も注意されたい、靜物畫の繪畫としての價値は重に其配置の如何にあるのであるから、なるべく單調にならぬやうにせねばならぬ。
△若し輪廓のみを稽古するための鉛筆畫であつたら、其材料の線を面白味のあるやうに配列せねばならぬ、線が同じ方向に並行するのも避けたい、規則正しく無趣味になるのも避けたい、假りに一册の書籍を寫すとするに、正しく正面に置かずに稍々角度を造つて斜めに見れば、線に變化が起つて見た處がよい。
△更に直線のみの書籍に配するに、圓いインキ壺を置たなら、物の大小の取合はせと、曲直線の對照とで面白味が増す、此場合にインキ壺に代ふるにマツチ箱を以てしたら、大小の取合はせはよいが線の上で趣きを失ふ。
△若し三個の林檎を寫す場合に、其三個を並べたのみではいけぬ、中央のものと左右のものとの隔りが同じではいけぬ、二個を近づけ一個をやゝ遠く離すと位置がよくなる、そして其三個を同一線上に置かず、其内の一個又は二個を前なり後へなり少しく動かすと位置はますます多趣味になる。
△三個の林檎は皆曲線である、其配置を直線的にするのみでなく、背景(バツク)の布地に襞を作り、又は臺か机の上に載せて其物の直線の一部分を示す時は、曲直線の配合も出來るのである、他の物を寫すにもすべてこの例によつて工風されたい。
△寫すべきものが複雜なら、背景はなるべく、簡單にする、寫すべきものが單調なら、背景を工風して賑やにするもよい。△濃淡の調子を稽古する墨繪、即ち鉛筆畫又は一色畫で寫生する時には、被寫物の線に工風がいるのみでなく、明暗の上に面白味をつけねばならぬ、排列されたる物の注視點に強き影を作つて圖を緊縮せしむるが如きは最も必要な手段である。
△次に彩色する場合には、線及ひ明暗の整へるのみでなく、色彩の上に多大の注意が必要である、色の配置が亂雜であつては繪をなさぬ、被寫物のうちで明るく鮮やかな色をなるべく注視點に持つてゆくやうにする、そして背景や下敷は出來るだけ邪魔にならぬ目立たぬ、色を用ひるやうにする、寒色熱色などの應用は勿論である。
△原色(黄、赤、靑)若くは原色に近き複色(橙、緑、紫)は、靜物畫には限らぬがタトエ一點だけでも何處かにあつて欲しい、なるべくは注視點に近くあつて欲しい、何の活きたる色もなき冬の淋しき田圃の道を、赤き帶をしめた田舍娘が一人居つたなら、其赤き色のために全景に活氣を與へるが如く、總ての繪畫には何處かに此生々しき美しき色が僅かでもあつて欲しい、イヤに高尚がつて澁い色澁い色と、皺だらけの老人の集會のやうな血の氣のない繪は有難くない、但時代のために自然的に色の沈んた古畫の如きは別問題である。
△併し此若々しき色は、其部分の尠ない程貴いのである、無暗に澤山赤や靑を用ひられては困る、彩色畫の上に反對色の應用は最も必要の事ではあるが、林檎の紅きに對するつもりでケバケバしき緑色の布の下敷を用ひたのを見たが、これ等は論外である。