水彩畫家と油畫

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第三十三 P.3-4
明治41年2月3日

 水彩畫を專門とするものは其水彩畫さへ研究すれば充分であるのみならず、之れが即ち目的であれば油畫の如き我專門以外のものは側に有つても顧みる必要は無いと云ふ人も在るかも知れぬが、已に洋畫家にして日本畫を研究し又た日本畫家にして洋畫を試る人さへ有ると云ふ此頃、恰かも水彩畫を女房に例ふれば油畫は亭主に當るべき深い因縁のある此夫婦の技術は、其何れを專門と爲さんに限らず雙方研究して益々一方の專門に奥儀を極むるを得べしと云ふことは、之れは僕の説で、未だ確定したと云ふのでは無いから不服の人が有つたら直ぐに取消すことゝして、先づそれまで引續き説を述べて見るに、一體は油畫と云はず、鉛筆畫は勿論、ペン畫で有ろうが擦筆畫は申すに及ばず、コンテー、パステル、クレオン、毛筆、其外エツチングに至るまで苟くも畫の部類に入るべきものは皆水彩畫研究の材料として大に研究すべきであると云ひたいので、今其中の亭主油畫だけに就て云へば、色を出す上に於て寫生に之れ程便利で容易で似せ易くて色彩の性質用途を研究するに適したるは無かるべく、之れで充分色を見なれ用ゐなれ使ひなれて、其研究の効を其儘水彩畫に適用せんか、ターナー先生をして其名の如く驚轉せしめ、デウイント先生に同じくづんと尻餅をつかしむる技を爲すに何んの疑ひあるべき、要するに水彩畫は油畫よりも六かしいと云ふと、今度は油畫專門家の方から苦情が出るだろうから其時は直ぐ取消すことゝ斷つて置いて、それまでは水彩畫の六かしいことを述べて見るに、已に多少水彩畫を味つた人には六かしいことが能く分る、油畫では樂に出來る處が水彩畫では六かしく人の知ら無い困難がある、それ故に油畫で試みに種々色や調子を修正し充分研究して此處だと云ふ所を得心して之れを水彩畫にて現はしたらば如何、餘程結構なものが出來るに違ひない、又た此方法で水彩畫を作る畫家も西洋にあると云ふことは豫て聞く處であるから、油畫は水彩畫の敵でなく又た油畫をかいたからとて水彩畫を侮辱したものでない、否大に我領土を擴げたようなもので、水彩畫家が油畫を占領し此處に一つの植民地を開いたようなものであれば、油畫を試みんとする水彩畫家の殖へるは大に賀すべきことならずや、水彩畫の短所即ち六かしい處と云ふのは色を強くだすに適せぬことゝ、ゴム靴同樣直しのきかぬことである、之れは油畫に於ては何んでもないお茶の粉なり、また水彩畫では六かしいとは云ふものゝ出來ないことは無い、名人になれば油畫よりも調つたる水彩畫がすらすらとかけると云ふも腕次第研究次第なり、我は水彩畫がすきで興味がある、趣味が我々に向く、それ故自分も畫けば人にも勸める、併し油畫にけちを付けるのではないのみならず大に之れを敬し援助を求めるのである、水彩畫が日本ならば油畫は英國で共に同盟提携して道を進まんとするのであるが、日本人は矢張りどこまでも日本人である如く我本領たる水彩畫の爲めには死力を盡して奮鬪するのである、更らでも有力なる水彩畫が油畫と同盟して我本土の安全開展を計るに於ては天下無敵なり、水彩畫の國家萬歳なり、水彩畫には油畫を共に研究して大に得る處あるべく、又た水彩畫專門家として决して恥かしからぬ將た我主義本領に反せざることなるを再び繰返へして終を告ぐ。

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