繪畫の鑑賞力について
『みづゑ』第三十三
明治41年2月3日
盆栽を愛翫する人あり、初めは草花の美はしきを愛し、縁日にて紅や黄や紫や目の醒むるやうなものを澤山買つて喜び、又は根を分け種子を蒔いて樂しんでゐたが、やがて其ケバケバしき色に飽きて、草花よりも木の花に趣味をもち、梅とか藤とかいふてゐるうち、花よりも其結實に面白味を覺え、次ては葉の色枝ぶり木振に美を見出すやうになつたとの話である。繪畫の鑑賞力もこんな順序に進んで行くので、最初は華々しき色彩のものを美しと見るのであるが、段々目が肥えて來ると、澁い繪に眞の面白味を感ずるのである。しかしこれも極端にゆくと下手な文人畫のやうに、何だか譯のわからぬものを、オツだとか妙だとかいふて喜ぶやうになつては困る、丁度枝振にも本ぶりにも飽きて、根が面白いといふやうなものである。