ふみがら

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

TO生
『みづゑ』第三十三
明治41年2月3日

 BUFFARO.SOCIETY.OF ARTISTS には會長R.C.COXE氏のナイヤガラ瀑布を描ける大なる油繪がある。非凡の作とは思はれないが、この繪のために精選したる彩料を遠く巴里から取よせ、それのみに六百弗も費したとの事であるから、繪に注意の屆いてゐるのには感服する。一體氏は油繪よりもエツチングの方が得意のやうに思はれる。BUFFARO ART GALLERY.は、美術會と同じく圖書館の樓上にあつて、規模小に陳列の繪畫もさまで多からず、大作と思はるゝものも少しはあるが、何分カタロツグの用意すらなく、其上室内暗くして筆者の名前さへ讀めず、彫刻もまた指を折る程しか飾つてない。最も此地の富豪ALBRIGHT が壹百萬弗を投じていま市の公園地に畫堂を建築中で、この夏落成の上は移轉して更に多くの新畫をも加へるとのことである。新畫堂の位置は、廣さ約千エークル車道十七哩といふ大公園の西部、小高き丘の上で美しい湖水を前にした景勝の地である。建築の樣式は希臘風で、四方には大理石の巨柱を廻らし、其尤も大なるものは長さ三丈にあまり重量十六噸以上もある、内部は幾區劃にか分たれ、光線其他の設備は極めて行屆たもので、階下は不殘、美術學校の用に供せられてある。石も磨かれ内部も整ひ、幾多新古の名畫が陳列せられた曉はさだめて壯大の觀を呈することであらう。バフワローのやうな小さな市には、實に惜しいやうな氣がする、歐米ではたゞ一人にてこのやうな大畫堂を作つて寄附する人もあり、又先祖傳來の繪畫彫刻の美術品を、一個人で私することなく惜氣もなくかゝる畫堂に寄贈する人も澤山あるので、自然に美術趣味も發達し進歩してゆくのである、吾國でも少しくこの眞似をして貰いたものである。
 此階下の美術學校は、既に授業を始めてゐる。生徒の製作に中々侮り難いものが澤山ある、參考品には世に得難きものも少なくない、生徒はいま二百二三十人居るそうで、月謝は隨分高いが、朝から夜迄種々の組に分れていつ往つても勉強の出來るやうな仕組になつてゐる。
 此市のTRINITYCHARCHにJOHNLAFARGEのグラスモザイクがある、氏は米國の人で、グラスモザイクに有名であるが、水彩畫もまた面白い。此會堂の中にも氏の作が澤山あるが、そのうちで教神の意を寓した人物畫は、曾て佛蘭西政府から望まれたとのことで、さすがに立派に見受けられた。他の諸作も敬服すべきものばかりであつた。美術會の卓上には澤山の美術雜誌がある、そのうちで一寸面白そうなものを少し紹介しやう。
 THE ART INTERCHANGE―NEWYORK小なる繪が澤山ある。
 L.ART PRATIQUE―MUNICH獨文で、數枚の寫眞版が挿んである。
 THESTUDIO―LONDON三四葉の原色版と澤山の小畫あり一般美術に渉りて趣味廣く比較的廉價なり。
 L'ART D'DCORATIF―PARIS佛文粧飾美術を主とする大なる雜誌
 GAZETTE佛文にて着色畫一枚あり面白そうな雜誌
 THE MAGAZINE OF ART―LONDON立派な挿繪多く高尚なり
 BRUSH AND PENCIL―CHICAGO記事も豐富にしてアメリカ出版の雜誌としては上等の部なり、
 THEARTIST―LONDON二三の彩色畫あり、よき雜誌なれどスタヂオよりは劣るやうなり
 COCORIOCPARIS頗るハイカラの突飛な繪畫や圖案多し、但廢刊したとの噂あり
 THE BROCHURE―BOSTON建築及彫刻の記事多し
 REVUE ILLUSTREE―PARIS小畫澤山あり、批評專門の雜誌にして讀めたら有益ならん
 其他露國、西班牙、伊太利等幾多の美術雜誌があるが、よくもわからず外見丈けではこれぞといふ程のものは見當らぬ(三十六年三月五日北米バフワローより)

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