通信 米澤より

川島頴正
『みづゑ』第三十三 P.17
明治41年2月3日

 小生常に郊外寫生に趣くおりは何時も「自然は吾等を要求する夫れ何んぞ甚しきや」と言ふ感念が起り申候
 而して自然に對し筆取る折りは自然あつて吾れなきが如き心持ちのせられ候されば背後に人の來れるを知らず執筆せるは幾何度此際に成りし畫は吾れながら上出來と感ぜられ候若しも執筆中野心欲心耻心の生じたる折りは其畫亦何んとなくいやみの生じおるを覺え申候
 畫なりて見れば「何んぞ其色彩の少なきや」と嘲笑せらるゝが如く思はれて自然を見るの眼の幼なきを悟り申候、斯くなれば家路につくも自然の色彩の變化につき如何にすれば現はす事を得るならんとの煩悶は念頭を去らず再往を促す次第にて候、一度畫等をとり繪具をパレツト上に出したる折りには自然の色を見て繪具を見ず只自然に從はんとつとめおり候されど自然を信ずる淺き爲か色彩に豐富なるを得ず實に吾れながら信仰の淺きを遺憾に思ひ居り候
 自然美觀!之れ小生の胸中を去る能はざる所の一種の塊心なれども眼低く手腕上らざるを如何せんさればなり終生身を之れが發揚にゆだね心眼手腕を益々向上的に進めんと决心致し候之れ小生が寫生を實行してつくづくと繰り返し繰り返し思ひ出さるゝものにて候今年の春は花の都へと雪より出でゝ一筋に此の道を學はんと存じ候へば先生幸ひに指導の勞を取られん事を偏へに願上候而して小生は水彩畫研究所に入らん存念にて候
  川島頴正

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