通信 熊本より

益承次一郎
『みづゑ』第三十三 P.17
明治41年2月3日

 寒氣漸日に相加はり候處先生には愈々御清榮奉大賀候
 扨て新たに一石一草より研究を始めし次第は前便申上置きし處其後着々倦まず困難に逢ふごとに(寫生上の)講習會の折のかれこれ思ひ合せなどして進歩は實に蝸牛のそれにも如かず候へ共課程のみは漸次上進せしめ十一月に入りては景色畫の稽古も初め申候何れも甚だ澁晦汚濁を極め居處我ながら愛憎盡きる次第に御座候へ共先生の曾て「寫生畫は眞ツ黑くなつても構はぬ」と仰さられし御言葉を楯と致し候忠實に自然に從ひつゝあらば他日奇麗に仕上ぐることを可得と存じ候
 尚近ごろの日の短かきには弱り申候小生は目下醫院の調劑事務を執り居り候處田舍の事とて平均午後一時迄はかゝり申候間自其食事を濟まして寫生道具を擔ぎ出づるにて候へば日毎に日沒の早きを恨み申候時々事務の緩なるときは朝食前にも走り出で候へ共いかばかりも出來不申候されど墨繪の修養の甚だ緊要なるを感じ來り候に付夜間は鉛筆擦筆に親しみ、用器畫も日出前と夜間にのみ限り居申候尚夜間人物寫生(木炭にて)を試みんかと存候處如何の方法によるべきやみづゑ紙上にて御洩らし被下らば幸甚
 益承次一郎

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