寄書 余が水彩の畫初め

本多金藏
『みづゑ』第三十三 P.18
明治41年2月3日

 新年となつたが、一日は四方拜二日三日は同窓會で一枚も寫生は出來なかつた。
 四日となつて今日こそやつて見樣と思つて九時頃出かけた雪はまだ溶けないでごくよい景色だがいくら歩いても場所が見附からない、雪は溶け始まる、氣はあせる、止むを得ず田甫を前にひかえ遠く芙蓉峯を望んで三脚を据へた。
 漸く輪廓だけ畫ききると、こそこそ風がふいて來て寒いの寒いの、危く鼻の水で畫面を汚しはぐつた、それで畫き上げて見たところが見ん事失敗、最も場所も惡かつた、それから歸りがけに近道をしやうと思つて田の畔に出たところが、雪はもう半ば溶けたので下駄の齒へくつつく、絆だから歩きにくい、手を上げたり足をあげたり與次郎兵衞宜敷といふお姿で歩きだした、後の方で誰か笑つて居たらしい、それもよいか泣き面に蜂下駄の鼻緒をふんぎつた仕方がない、びつこひきひき家に歸つたが、いまいましいのでその雪のどつさりついた下駄を寫生した、これも立派な失敗、鳴呼新年早々しかも畫初めに失敗するとは不愉快此上なしだ、しかし失敗は成功の基といふからあながち落膽するには及ぶまいとあきらめた、この先畫くのはどうであるか。

この記事をPDFで見る