歐米風挿畫研究方法

戸張孤雁トバリコガン(1882-1927) 作者一覧へ

戸張孤雁
『みづゑ』第三十四
明治41年3月3日

 挿畫の專門的に研究すべき理由は既に前號に述べたが、偖て是れを專門的に研究するには、その研究の方法も自から異なつて居らればならぬ、本號に於ては其異なつた點を擧げて研究の方法を述べて見やうと思ふ、然し技術を言語や文章で説明するのであるから不完全は喋々するまでもないことである、故に若し研究して見やうと思ふ人があつたら自ら實地に練習すべきである、茲に述ぶる挿畫研究の方法は挿畫家となる人に對しては、充分參考の材となることは疑はないが、水彩畫、油畫家(ペインター)となつて斯界の舞臺技を競はんとする人には、餘り有益ではない否寧ろ有害かも知れんから一應辯解して置く必要がある。研究順序は水、油畫研究の方法と大差はない、矢張最初の間は木炭畫を練習するのだ、三角形又は四角形の木片及び石片を並列して其の陰影を完全に描爲し得るまで研究し稍々進歩しては二個或は三個又は圓形を加へて描寫を試み、その大小等の比較を描き得るに至つて石膏製の手足に移り、尚ほ進んで胸像及び人體の描寫を試みると云ふ風の順序で、石膏製の裸體又は着衣の人物が、木炭紙の上下に位置能く描寫し得るに至つて初めてペインチングと離緑するのである。
 挿畫と云ふても等しく美術であるから、研究の方法も大した差異はない、例せば内科醫と外科醫位の差のみだ、否それ程もないか知らぬ、前述の順序を自由に描寫し得るまで技術が進歩したら、次はモデル、を使用して顔面、人體を木炭で寫生し、其の傍ら布片を釘等に掛け、充分注意して寫生し、そして皺等の變化を研究するのである、如斯き順序に從つて研究するには、機會ある都の入々には頗る都合がよいが、地方の人には充分の機會がない、然らば地方に居る人は挿畫を研究することが出來ないかと云ふにさうではない、田園、漁村に生活してゐても研究の材料はある、今日まで繪畫の研究といへば、必ず都會に遊ばなければならなかつたのは、地方に生活する人に對して好機會と良師に乏しかつた理由がその原因をなしてゐるやうである、今茲に不完全ながら地方の人の爲めに少し述べて見やう、それは靜物を描くことと圓き物を(堅き物と軟き物)描く事である、前に述べた三角形、四角形又は圓形は是非練習を要す、靜物寫生法は前號より引續き大下先生が講義をして居られるから、それを見れば如何なる方法であるか直ぐ解るでせう、靜物のみ描いてゐると畫が堅くなると云ふことは自分も經驗し、又多くの人からも聞いた、此の弊害を緩和さするのは何うするのが良いかと云ふに、先づ氷嚢に空氣を入れた儘を、水に浸して高い所より釣り下げるか、板の上に置いて自分の感を畫に顯す事と、尚ほ一つは光線の最も微弱な所に靜物を置いて之を寫生するか、又オニオン(玉葱)の薄皮の脱けんとするを寫生するのである、第一の物は最も効力ある練習法であるが長時間には變化することがあるから、唯だ感じのみ練習するに使用すべきだ、其他圓形の物に就いて充分試みる必要がある、室内で寫生する場合は、バツクを明るきものと暗きものと交代に試みるは眼を熟練するには缺ぐ可からざるものである、而して畫紙の大さは木炭紙の半切より全紙までを適當と思ふ。
 挿畫は多くの場合感情及感じの表現にあるから、研究者自巳が感じた事故を腦裏に描き、直ちにそれを畫として發表しなければならぬ、であるから感情の修養と技術の熟練とを具備するやう常に努力せればならぬ、野外寫生の如きも刷毛を取らざる前、先づ大體の描寫を腦裡に描きて然る後ちスケツチに着手する、之は諸君の既に幾度か經驗されたことであらう、挿畫に於ては言語、文章に因て知るのみであるから、之を描寫するには頗る莫然、朦朧たることが多い、それで初め練習中は唯だ自己の感覺を具象的に表すのである、著述等の挿畫をなす揚合は充分精讀して著者の苦心や感覺を知らねばならぬ、此邊の消息は一寸難しいやうであるが、專門的に研究して居れば自然解つて來る、諸君單だ感した事を腦裡に畫き練習せよと云ふても莫然として取留め所がない、どう云ふ組織にしたら可いか知らないであらう、既の困難はコンポジシヨンを充分心得て居れば何んてもない、コンポジシヨンを知らずして畫を描んとするが如きは、餌なき針を以て魚を得んとするが如き愚を演ずるのである、堂々たるペインターにして、尚且つコンポジシヨンの何たるを辨へず、唯だ自已の手加減で組織してゐる先生が尠くない、如斯き人が若し生徒の質問に逢はんか、彼は練習(數を作るの意)に依るの他に道なしと答へて逃げる、又生徒も如斯きものと觀念してゐるやうだ、組織配合は何れの畫を問はず、必ず共通の點を有してゐる、此の共通點を稱して基本コンポジシヨンと云ふ、此のコンポジシヨンは文章にて表し難ければ圖を以て説明する、大體の要は紙面の中央を中心として左右に等しき濃淡を配置し、形に於ては互に離れさるやうに連鎖がなくてはならぬ、コンポジシヨンを心得て之を應用する場合は大した失敗はない、此の線習は人の似顔が畫けるやうになつての後である、然し感じたことがあつたら其れを畫に試みるも妨げはない、然し似顔が畫るまでは唯だ試る位で充分である、あまり此方に力を入れると技術かそれに伴はない、現今日本で挿畫と云はれてゐるやうな頗る曖昧なものになる怖れがある、而して此の表し方法に二法ある、一方の人は線に依つて表すのと、他は直ちに濃淡陰影で表すとである、然らば孰れが善、孰れが不善てあるかといふに、予は今茲に於て速斷するは困難であるが、線畫の方を採るのは不得策ではないかと思ふ、夫れは日本畫のみ見てゐるから知ず識ずの間に日本畫的、現今の挿畫?が出來て仕舞つふと思ふ、自分は後者の方法を採つてゐる、何れにしても如斯きことは各自の趣味傾向に從って異なるものであるから、敢て喋々しやうとは思はない、然し遺憾とするのは日本の學生が濃淡を見る知識の乏しいことである、海外に遊學した人は經驗があるであらうが、彼の地の美術學校等に入學すると暫くの間は誰でも此苦心をする、此の弊害は幼少の時より固有の日本畫のみ見てゐる結果であらう、尚ほ一つの理由は日本に於ける洋畫の先生が誰彼の別なく千變一律に、調和がどうの、空氣があるのい無のと批難するが爲めではなからうか、米國などでは如斯きことは初學生(二年程の間)には要求しない、ドシドシ濃淡のことにのみ關して教へてゐる、然る後ちに感覺、調和を説く、初學時代から空氣がどうの、調合があゝのと八釜敷く云ふ結果、今日のやうな力のない畫風を産んだのではあるまいか、自分は日本人に就て學ばないから、不規則に教へられたか知らないが、自分の經驗では砒の力法が可いと思ふ、濃淡の比較を畫くには充分力を注くのであるから、勿論調和も同時に練習して居る譯であるが教師は調和調和と別に云はない日本で云ふ調和は水彩畫で云ふと畫いたものを一度ざつと洗ひ去つた跡畫を云ふのではあるまいか、兎に角百人百心、各々其の心を以て心となすのてあるから自巳の好む所に從ふて研究す可きてある、悲哀の好きな人は悲哀、歡樂を欲する人歡樂、各自の思索と技術に依つて練磨す可きである、以上述べたのは極めて初歩の人に對する自分の意見である、今後は表情等の研究に就て漸次に號を追ふて説明し

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