色が主、形が從

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第三十四
明治41年3月3日

 之れには大家の間にも己に幾多の議論あり。或は形が主だと云ひ或は色が主だと云ふ。先生によりては專ら鉛筆でドローイングのみをやらせ繪具は最後に一寸持たせる教へ方もあり。又た先生によりてはドローイングを或程度迄やれば後は專ら繪具の研究をやらせると云ふのもあり。何れも數寄々々にて別に規則と云ふ者はない故研究家の勝手にてよし。元來が物は色が基で形は色に附隨して居るなり。色の範圍が即ち形なり。光のなき處には色なく色のなき處には形なし。形が先きに現はれて色が見ゆるにあらず色現はれて形之れに從ふなり。スケツチは時々刻々に變化し行く自然の色彩の關係を現はす者にして。この色彩の變化調子を機敏に觀察するは己に一大仕事なるに其の以上に。猶形をも充分に研究すると云ふ餘裕は實際に無い。櫻花の美しきを見てそう感ずるは其形よりも色にあるなり。夕暮の空も紅葉の森も雨の道も皆同樣なり。形は色を一層面白く見せる助けたるに過ぎない。それ故僕は諸君が專ら繪具を研究せられんことを希望する。此研究は人に聞く必要もなく種々法則などを氣にする必要もない。自然に就て自分が感ずる通りにてよし。色の關係調子は色を一々分離して研究すべきものにあらず。其各色が相綜合して、見る目に美の感じを與ふるもの故例へば繪具には墨を用ゐざるも實際墨を用ゐたる通りの感を起さしむるが着色の主眼なり。初學の人が能く云ふどうも空の色が出ないで困る草の色がどうしても出ないなど云ふ。之れは右云ふ他の色との關係を能く研究せざるの故にして。誰が畫くにも繪具の色は皆同一なれば初學者がコバルトを空に塗るも大家先生が之れを塗るも別に相違あることなし。然るに相違ある如く見ゆるは空のコバルトの相違にあらずして他の各色の闘係の正しからざるによるなり。此理を會得して益々繪具の研究調子の關係に出精せられたきものなり。
 此頃流行の元禄子クタイ
 右申述べたる色彩の關係を證する一例として此頃往々ハイカラ諸君の用ゐらるゝ元禄模樣ネクタイに就て一言せんに。洋服に用ゐるものとしては此ネクタイは落第なり。鑑査に合格せず。なぜとならば。洋服地の色を同じく元禄式の色とせざる以上は色彩の關係調子が一致せざるが故なり。子クタイばかり元禄式の日本的優美なる色彩模樣なりとも肝腎の洋服が獨乙地だとか英吉利地だとかではとても調和の取れべきにあらず。田舍の姐さんが赤い袢襟を大に美しいとて喜んで掛けて居るが如く。成程袢襟其物は美しきに違ひなからんも。之れが美しゝと人の感ずるは單に其色ばかりにあらずして他の種々なる衣服其他の色との關係に依るを知らざる可からず。水彩畫研究家諸君中に若し右ネクタイを使用さるゝ方あらば早速やめられたがよろしかるべし。
 實際スケツチをする場合に形などに拘泥してゐる時間はない、夫故平素色の範圍を示すべき即ち形を充分研究して置く必要がある、石川先生の意はスケツチの場合にも形などに氣を揉んで肝心の感興を繪の上に失ふことを戒められたのである。(編者)

この記事をPDFで見る