色彩應用論[七] 山岳及び遠景に就て
榕村主人アコウムラシュジン 作者一覧へ
榕村主人
『みづゑ』第三十四
明治41年3月3日
山岳の優麗壯大なる、常世の雲の搖曳たる樣その色の限りなく變化し、淡き彩の漸滅し行く有樣は凡手の容易に描き得べきものでない、山岳の形は明確でなければならないが、タツチは最も淡くせねばならない、しかも壯嚴の樣を存して置く要がある。それでこれが繪畫の後景に屬するものであることを何處までも心中に心得て居らねばならぬ。後景に依て起る興味は、前景の諸物を見ての感動とは自ら別種のものでなければならない。
空氣、天空、雲を表現するに要する空氣の調子は山岳及遠景を描く必要な色彩と實質上の相違はないが、全體から、繪が完成した曉には性質上全く相違がある。空氣、天空、雲等は光線を各方向に透入し得る者であるが山岳遠景等はこれに反して固形體てあるから常に其樣を何處までも存して置くの要がある。山を描くには最も大切なる輪廓に注意せねばならぬ。でこの輪廓も山を形成する石質の如何に依て、變化するもので。例之は花岡石、石盤石、石灰山等各其特質があつて、遠方からも容易に判別が出來る。花岡石は大塊で石盤石は層があるの類である。
山岳の頂上の輪廓も量の不同や種々な角度で傾斜が不同となる。これは人の見て美觀を感ずるものである。形の美は直線や角度や曲線の配合のみに依るものとするのは誤りて、その形體の性質を表現する力にも依るのである。
さて山を描くには、最初の中和色のワツシはエルーオーカーとプラオンマダーとを普通に使用する。このワツシは極めて淡くしなければならない。空氣を含ましめる爲には幾度もこのワツシを重ねる。また調子の如何に依てエローオーカーを多くするとか、ブラオンマダーを多くするといふ加減もせねばならぬ。山や遠景が天空よりも暗い時には常にこの最初の調子を施す。でこれを施さぬと全體の色彩が生々しくなるのみならず不透明體の部分を固くする憂がある。天空を描く繪具は山へも塗つてしまうがよろしい、そうすると山の色を豐富となし深くすることが出來る。それで筆に彩料を充分に含まして塗ると、相互に染込んで、俄な分界線なとの出來る憂がない。それ一卜筆の先で調子を換えて、色の増減も出來るのである。如何なる手段でも空氣の調子を旨く出すことが出來ないで、紙面の粗なる處を其儘に存して置きたいといふ時には、彩科を塗つた部分を全く乾かしてから後に清水で洗滌する。かくすれば紙面に溜つて居る彩料を取去り、また暗きに過きた處を明くすることが出來る。また色彩と色彩が重つて線が出來たのを取去ることも出來るのである。それから其上へ異つた色の全く透明なるものを塗つて調子を變へることも出來る。この洗滌法は郊外寫生等には不可能であるから、最初から手ぎはよく描くに如くはないのである。透明色の上へ性質は仝じて調子の異つた色を重潤することは屡あるが、此場合は最初にパレツトの上で合はして塗る方が可いのである。遠方に關しては、地平線が見ゆる時、例えば海に於けるが如き、天空の調子は、後に取去ることが出來るならば、明所を殘さずに塗つてしまうがよろしい。中景も二つ仝じてある。
彩料に就ていふならば、最初のワツシにはエローオーカーとブラオンマダーの中和橙黄色を用ゐる。鼠か藍色が勝つて居るときは、マダーを多くし、明く暖き調子の時にはエルーオカーを多くするのである。絢爛で清淨な時にはローズまたはパープルマダーとカドミユームとで塗るのであるが、かゝる彩料は山或は遠方よりは天空に多く用ゆるものである。山岳の部分が日光に照されて居る時は、ライトレツドとエローオーカーかカドミユームをレモンエローとでワツシをする。山の調子で光部を紙の白さをそのまゝ殘しで置く場合は决してない。調子の力に應して、燦然たる光線も比較的に糢糊と描べきである、また白雪を頂いた山でも空氣は含んで居らねばならぬ。(此項完)