きさらぎの旅
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
汀鴎
『みづゑ』第三十四
明治41年3月3日
▽二日平沼より下闢行急行列車に乘る、室は客少なく三人を座せしむべき席を一人に占めて毛布擴げて長々と寢たる人多き中に連れにもあらぬ無遠慮なる婦人客に席の半以上を奪はれ、片隅に押つけられつゝ書物よめる年若き紳士あり、世には我れにも似たる心弱き人もあるなり。
▽大阪にて夜は明けたり、俗地なれど朝の景色はあしからず、須磨舞子それより先は初旅なれば睡かりし眼も自からさえつ。
▽中國の山は樹木粗に土露はれて醜く、其形に奇も壯もなし、されど眼を南に轉じて海に對すれば、瀬戸内海島影波光美にして且艷なり。▽建築は關東諸國に比して外形たしかに勝れり、たゞ茅屋破窓の詩的雅致なきをうらむ。
▽三日午後廣島に下車す。篠原氏來り迎へて旅舍溝口に案内さる。天曇りて風寒し、樓前ゆるく流るゝは元安川にして、水の趣くところはるかに富士の形して淡く空に浮ぶは似の島なりといふ。
▽四日朝藝備日々の藤田氏訪はる、嚴島彌山登山の談をきく、この日江波公園、泉邸、二葉公園、鯉城等を見る。
▽停車場前の松並木は千年の老を語れり。江波へゆく道すがら風致よき松の幾株を見たり、公園に、邸地に、松に數奇をつくせるもの少なからず、廣島を代表する樹木はそれ松か、而して廣島否中國の景色より松を取去らば殆と一顧の價もあらざるべし。
▽江波公園、水に臨みて旗亭山文あり、川魚料理をもて鳴る、曾て山陽のこゝに遊んで「しらうをあり」の旗を書せしことありといふ、牡蠣は廣島の名物、脆味淡として春の雪に似たり。
▽五日藤谷氏に伴はれて嚴島にゆく、雪ちらちら、晴れ且曇り風冷たき日なり。嚴島またいつきしまといふ、車窓左にたえず翠深く雄々しき姿を見得べし、余は更にうつくし島とよばん。
▽嚴島の風景は美なり、されどこの美は他國になほこれよりも勝れたるもの多し、ひとり嚴島神社の規模壯大にして建築の樣式結構の完美せる、日光の浮華なく春日の複雜なく、頗る我が意に適し崇敬の念を深からしめたり。
▽廻廓にたちて溟想すれば、そのかみ平安朝の頃の嚴島詣で、社頭に纜を結び連ねし華やかな光景、さては平相國の渡海の壯麗、陶毛利决戰の悲慘、豐太閤千疊敷の戰評定など、幼なかりしとき學びし歴史の面かげのとりどりに現はれ來り、いつか身はとほき昔しの世にありし心地のせられて床しさ限りなし。
▽神官木曾氏に就きて舞樂の事をきく、座に村田少將あり、昨日彌山に登りしとて其勝を説かる、今日空模樣あしくかつ時少なくして登山の暇なきをうらむ。
▽導かれて寳物を見る、盧雪の山姥はその尤なるものなるべし、名家の手になりし大なる繪馬の、燻ぼれて其繪の面影をとゞめざるは殘り惜しきことなり。
▽千疊敷は建築の美を見ず、たゞその豪壯なるをとる。五重の塔は形態優美。
▽紅葉谷は水の清きを賞すべし、嚴島の遊園か岩惣の庭園か、大元公園ば閑雅の趣あり、丹緑に不調和を極めしミカドホテルは此公園の風致を害する事少々にあらず。
▽六日雪積ること半寸、對岸の高樓、元安の長橋、河中のかゝり船皆薄く膚を粧へり、時に雲を破りて朝日の輝々として照すや、春の淡雪見るまにとけて、北の風つめたきわたり僅かに點點白を印するのみ。
▽城外神田橋を渡り太田川に沿ふて堤上を不動院へ向ふ、道は漏斗にて水撒きしほどの濕り氣ありてあゆむに心地よし、野梅三五、到る處幽かに香りを放てり。まだとけやらぬ今朝の雪は白く地に敷きて冷やかに、梅花の黄を舍んで暖かきによく調和せり。
▽不動院には豐公の朝鮮より遷したる金堂あり、保護建造物の一にして樣式よく整ひて趣深し、丘上安國寺惠瓊福島正則等の墓あり、幽雅の境。
▽市中見物をなす、よく目につくは京大阪と同じく提灯を看板とすることなり、高く掲げし提灯に笠をつけたるもあり、人力車のカタンカタンと音高きはうるさし、市中乘合馬車の形といひ色といひ頗る支那式なるは故あることにや、馬車に半乳消毒器を備えつけて、白煙たてゝ配達しゆくは他には曾て見ざるところなり、婦人の膚の色黒しとは芳男君の言なれど我は心づかざりき。
▽この夜有志茶話會に臨む、某樓にて晩餐を共にしたしなど厚き志を受けしも、洒嗜まぬ身の禮を失せんことを恐れ辭してこの小集に代へしなり。
▽座には舊き友あり、新しき知巳あり、今宵初めて逢見し人もあり、文筆に從ふ人、教育に從ふ人、實業家銀行員、其執るところの職業こそ異なれ、敦れも美術に趣味深き人々のみなり、清談閑話春寒き夜を火桶かこみて語り合ひし此一夕の會合に、我は廣島に遊びしことの如何に幸多かりしかを淺からず感じたりき。
▽語る人あり、廣島の名物には多く頭にカの字がつく、昔しは紙も傘も産物なりき、今は廣島の三カキといふて、第一に牡蠣、第二には柿、その第三は説明の限りにあらずと。
▽説明し得ざる名物は有難きものにあらざるべし、牡蠣の美味なるは前に言へり、柿は時にあらねば生の味を知らず、干柿は多肉にして美なれども深く好まず、獨り柿羊羹は大垣にも勝りて風味太だ佳なり。
▽七日廣島を去る、岡山公園は冬枯の見る目よからじといへは立寄らず、夜に入つて明石にて下車、海濱衝濤館に投ず、濤聲耳に近く樓名に背かず。
▽八日東の空のほのぼのと明石の浦の朝の景色はいひ知れず美はし、淡路島山ほのかに霞みて、折しも凪たる海は鏡の如く、白帆點々其影の長く水面に浮べる姿、艷美友禪染を見る心地す、げにこの衣をまとふ舞子の濱は近く一里の東にあり。
▽松を前景としてスケツチ二枚を得たり、濱には老松多し、西の岬には舊式の燈臺あり、明石城は好畫題たり。
▽枝吉氏はこの地のアマチユーアなり、年少客氣、藝術の幻影に憧がれて身の境遇をも顧みず、只管に專門家たらんとする人多き中に、氏の如きは其熱心の度の極めて深きに拘はらず、尚自已の職業を忘れず、繪畫を以て唯一の慰藉として徐ろに研究しゆかんとせらるゝは、われ等の希ふ處と一致して末頼母敷思ひぬ。
▽九日明石より須摩迄海岸を徒歩す、途中景色極めて平凡、松の位置のさまを僅かに變へしのみ、西風強く浪高く、一層こゝの景色を惡しからしめたり。
▽舞子は十年前の面影を失ひて俗惡なる地となれり、古松の暗きを透して明るき海を見る變化ある景色は、いまはまた見るべからず、建て連ねたる旅館別莊は、水と松との間を隔てゝひとり横暴を逞ふせり。
▽垂水の邊にやゝよき處あり、鹽屋と須磨との間に僅かに松原の海に瀕せるあり、されどこのあたり淡路島の姿あしく、風光明石の濱に及ばさること遠し。
▽須磨花檀といへるあり、諸處に立札して曰く「肺病其他の病人一切斷り申候」と、これでは宿泊中風邪にでもなったら逐出さるゝも知れず、恐ろしき事なり。
▽須磨花檀の邊、松は皆埃を浴びて灰白色となれり、白砂青松にあらず黄砂白松なり、病人を斷るよりも、往來に撒水して埃と共に病菌の邸内に入らぬ工風ありたけれ。
▽神戸迄汽車に乘る、海濱に住友家の須磨別莊あり、佛國大家の繪畫の多くはこゝに藏せらる、這度新に鹿子木氏の持歸りしローランス氏の作は其價一萬六千金、この名畫を日本へ持ゆくことは佛人の喜ばざる處とて、購ひ求むるに勞多かりしとなり。
▽神戸より大阪行の電車に乘る、車内の掲示に曰く「はだかはだぬぎ御斷り」と、京阪人士の不行義を證明しつゝあり。
▽尼ケ崎に友をたづね、夕刻大阪に着き松原先生を訪ふ、折よくも社中の競技會あり、陳列の大畫小幀多くは水彩畫にして、孰れも眞面目の研究に成りしもの、前途の造詣圖るべからず、大に慶すべし。
▽五六の知友に伴はれて綱島鮒宇に一酌を催ふす、松原氏謠ひ田中氏舞ふ、松原氏の謠曲に巧なるは夙に知れり、田中氏の仕舞に堪能なることかく迄ならんとは思ひ設けざりき。
▽仲居のおあいさんよく語る、一とせ朝日新聞の英忠氏こゝに來られしとき、「親孝行の女と思召して是非父母の肖像を描いて下さいとたのみ、先生も快よく承知されました」といふ、「それで描いて貰つたかい」と問へば、「寫眞を送りません」といふ、「跡でよく考へて見たら、繪をかく方は安請合で中々描いては下はらんもんで、若し寫眞をとらればなしでは困りますさかい」と、賢なるかな。
▽十日湊町より汽車に乘る、伊勢に徃かんとてなり。笠置には奇巖多し、木津川は繪になるべし、伊賀の山中松山多く平凡、伊勢に入りても景致の賞すべきものなし、午後四時山田に着き直ちに二見ヶ浦にゆく。
▽二見の夫婦岩は小なれども引締りて繪とするにあしからず、たゞ寫すべき場所なきに苦しむ。
▽この夜海濱二見館に投ず、室の左右二間四枚の白襖、其一方には高く墨にて月を現はし、他の一方には低く薄雲に杜鵑を畫けり、清素怡ぶべし。紙障の引手に浪と千鳥を切りぬきて貼れるも嬉し。
▽十一日朝鳥羽へゆく、二見より二里の道なり、海に沿ひ山に入り、川あり島あり、變化あれど景色は色も形も面白からず、鳥羽の港は群島を前にし景色よかるべき筈なれど、更に繪にすべき處なし、海景あしきにあらず。海濱に樹木その他の近景とすべき物を欠くがためなり。
▽修繕中の大なる商船の二三、太陽を背にして橫はり、前面の水は眩ゆく輝けるその對照の面白さに、一枚のスケツチをなす、かゝる繪は横濱にても神戸にても、其他到る處の港に於て寫し得べきものなれど。
▽俥にて二見に歸り電車にて内宮へゆく、宇治橋を渡れば神苑一點の塵を止めず、老杉の間をゆくこと數町大廟に達す、恭しく拜して退く、此處は些々なる一人一家の安全幸福を願ふ處にあらず、まさに國家萬民の神護を請ふべき處なり。
▽再び電車に乘りて外宮に詣す、内宮に比して規摸稍小なり、神苑の清素なること前に同じ。
▽夜に入つて山田を發す、十二日黍明沼津に達す、カーテンを排して車窓より北の方を見れば、愛鷹山暗く横はり、その頂にほのかに富士を見る、曉の星の低く高く朧げに光を放てり。
▽車は進みて佐野のあたりを走る、富士は青白く空より抜出たり、殘んの星は光りを失ひ東方漸く紅を呈す。
▽絶えず富士を眺めて其曉の色のうつりゆく樣を見る、蒼白かりし雪はやゝ暖昧を帶びて淡き緑を含み、距に紫を加へ來れり、東方益々明るく金時山の輪廓鮮やかになりゆく時、車は御殿場に近づき、富嶽の頂上忽ち紅に變じ、見る間に曙光は裾野に下り來て、淡紫色せる影を沒し去れり、壯觀偉觀!我は冷たき玻璃窓に顔押あてゝ他に言ふ處を知らざりき。
▽汽車の新橘へ着きしは朝の九時なり、此行沿道に知友多く、擧げ來れば百を以て數ふべし、一々訪ふて語り合はゞ如何に樂しからん、しかも逢ひ見しは僅に其十中の一二に過きず、いとまなき身の止むを得ざりしことゝは云へ、遣憾これに加ふべきものなし。(おはり)