吉田博「寫生旅行」の一節
『みづゑ』第三十四
明治41年3月3日
何も日本人が小國に生息してゐるからと云つて、大なる製作が出來ないといふ理屈はない。狹小な範圍にあつてはよし大小の比較をする事は出來ないにしても、猫の頭からだつて大空は見える、日本の風景畫家として爲すべき事はいくらでも有りあまる。單に西洋人の眞似ばかりして居る必要はない。ものゝ大きい感しを與へるとか優美な感じを見せるとか、清楚なもの瀟洒なもの、何れの方面を描出したからとてどれが一番好いと云ふ事は云はれぬ。何れにしても當初描かんとした目的をさへ達すれば、それで立派な美術品と稱してよからうと思ふ。日本の畫家で能く西洋に行きよる人、又自身は行かずとも、洋行者の談話、彼の地の雜誌などで、両洋の繪畫に親しんでゐる人の中には、切りに西洋的の景色や圖抦を搜し廻り、ありもせんものを無闇にさがしたてゝ、無理に、こじつけて畫を作る、あれは實に無理な注文で。また其の人のためにも不得策であつて、到底成功は覺束ない。それよりは能く自分の國を知り、能く自巳の性質を知る事が最も大切であらうと思ふ。(吉田博氏、「寫生旅行」の一節)