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『みづゑ』第三十四
明治41年3月3日
□『みづゑ』特別讀者募集を試み候處幸に五六の賛同者を得申候、この分にては遠からず我等の希望を達し得べしと存候、就ては來月號より多少面目を一新し得べく候
□京都の某氏より、幹部諸氏の肉筆畫を時々抽籤等の方法により讀者一般に頒たば購讀者を増すべく、決して金時計的のものと性質を異にする故差支あるまじとの提案有之候
□成程結構なる思付とは存候へ共、世間の射倖心に訴へてまでも讀者を殖さんとは希はず、且秩序的に着實に研究を勸めつゝある本誌の特色に對してもかゝる企は如何と思はれ候まゝ、兎に角熟考の時間を御與へ下されたく候
□本誌發行の當時と今日とを比較せば、印刷製版用紙等何れも幾分かヅヽは高價に相成居、實際經營は容易に無之候、既に實費に於て賣價と大差なき本誌の如きは、タトヱ二百三百の讀者を増せしとてさして影響は無之候、夫よりも吾等の力によつて幾分にても資金を投入し、雜誌の改善を圖りたく其結果特別讃者を募りし次第に候
□特別讀者の數は多きを厭はず、希くば此際進んで御賛同あらん事を御依頼申上候
□本號の口繪は久々にて石版を用ゐ申候、泰錦堂にても非常に注意を携はれ候に付稍滿足すべきものを得申候、原畫は九ツ切のスケツチに候
口小説挿繪は蘆花氏著『自然と人生』第十二頁參照ありたく候
口本號及び前號の中繪は何れも應募せられしものに候
口丸山晩霞氏は去月下旬無事歸京被致候、其作品と見聞記は次號以下續々掲載すべく都合によつては臨時増刊を出すべく候