イースト氏寫生談 戸外寫生[上]
石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ
石川欽一郎
『みづゑ』第三十五
明治41年4月3日
寫生に行くには間に合はせの道具は一切止め。馴れぬ中は猶更良き道具を用ゆべし。能書家は筆を擇はずと云へど強いて惡しき筆を用ゆるに非らず。道具は成るべく良きものを用ゐぬは間違にて之れを一文惜しみの百損とは云ふなり。一寸出かけるのだから仕度は簡單でよいと思ふは誤れり。寫生の興味も成功も一に此用意の如何にあり。散歩がてら見置きたる好い塲處を畫かんと思ひ遙々道具を擔いで出かけ。いざ始めようと繪具箱を開けば筆無し。家に忘れたることを知り失望落膽するも詮なし。用意周到ならんには先づ出がけに充分調べみるべきなり。今日の寫生には小筆のみあれば充分と思ひながら實際には大筆の必要を感じ。或は大筆のみ用意したるに小筆の必要を感ずる如きことあらば。興味は減じ畫も面白くはゆかぬなり。寫生には凡て思ひ及ばざることの起るものなれば。其積りにて豫め用意肝要なりと知るべし。寫生にかゝつては全身全力を捧げて一心不亂にやるべし。今折角面白く見へたる其有樣も猶豫せば取逃がすべし。凡て一氣に仕上げざる可からず。
先づ何處か廣々したる郊外の景を以て畫題とすべし。雲の影は草原を行き。遠景中景森などは忽ち照り忽ち曇り。森の端れには田舍屋見る如きは能く有る景色にして纒まりたる圖柄なり。尚ほ暫く眺むれば一層面白き光景現はれ來るべし。かゝる面白き場合を見付けん爲めには或は朝暗い中から出掛け。或は夜遲く歸へることありとも一向構ふべからず。其甲斐必ず有るべし。同じようなる曙又は夕暮は决して再び見ゆるものにあらず。歴史は繰返へすものと云へど景色斗りは再び來らず。如何なる塲合が面白いかを能く見きはめん爲め。或は早く出掛け或は遲く歸り。彌々茲が一番面白いときまらば。勇氣と確信とを以て取掛かるべし。此勇氣確信なくばいつまで研究するとも物になることなし。勇氣と確信と敏活。之れが寫生の要義なり。中には初め能く見て之れをいつまでも心に覺へ置くべきものも尠なからず。向ふの山が影り來り。日の當たれる木の裏になるような場合は即ちそれで永く續くものに非らず。其内に雲は漸々風に消えて。終に再び影を見ざるに至るべきなり。
山の色を出すには。早く變らぬもの故それ程六かしき事もなかるべく之れがかければ山の影日向に適する調子にて其下に木をかき。更らに之れに釣合ひて草をかく。道をかくにはそれに影あり。影の中に其道の有樣能く現はれ。日向の處も日影の處も同じ道の趣見へざる可からず注意を要すべし。路上の影は黑き布の擾がれる如く見えては不可なり。豐かに空の色を反射し輝ける調子ならざる可からず。殊に其影の端は全體の色よりも稍や暗く寒きものなることを知るべし。何故最初に空をかゝぬかと不審する人もあるべし。空を初めに塗れと教ゆる人のあるを知ればなり。凡そ畫家には皆各自の得手あり。今何故空を後にせよと云ふかといへば。景色に折合ふように空をかくことは。空に折合ふように景色をかくよりも余程らくなればなり。多くの畫に、往々此點に於て統一を缺けるものあるを見る其原因は。主として景色が空に折合はざるか若くは空が景色と折合はざるによるなり。空も。木や野と同じく景色の中ならざる可からずして。雲の形は畫の位置に極めて關係あるものなれば。構圖まづ成りて後雲を置くを便なりとす。
寫生の要義は。自然の通りの感じを人に與ふるにあり。其主要なる箇處々々を一々關係を正しくかき。且つ其特徴を明快に大膽に又た出來るだけ最も直接に現はすにあり。故に以上の要素を具備する間は其寫生は誤りなきも。一度び疑ひ一度び怠らば。忽ち色彩は亂れ自然の趣は失せ寫生は終に平凡無味に歸せん。能く人は自然の小部分にある美しき箇處に釣込まれるものなれども。それ等は暇にゆるりとかくもよかるべく。寫生に際しては。風景の要部を小部分の犠牲たらしむる如きことあるべからず。
空。地面。樹木。草原。影と日向。色と調子。之れらが正しく一致和合するは肝要なれば能く研究すべし。之れにさへ心がけ居らんには前景其他一部分づゝの形状等には敢て頓着せざるも可なり。此考にて畫かば。無暗に丁寧に畫いて暢々したる趣を失はんよりも反つて正しく見ゆべきなり。寫生を以て習作と云ふことは得れども習作を以て决して寫生と爲すこと能はず。寫生と云ふは。日光。影。嵐。雨。日の出。日の入り等の如き變化し去る大なる物に就ての仕事にして。千變萬化の有樣は細さに其感じを現はさゞる可からず。然るに習作は細かき箇處を丁寧に研究したるものにして。之れは眞面目の大作を畫くに入用つるものなれば。必要に應じ寫生と習作を如何なる風に用ゆるかは追々述ぶべし。
右の譯にて。變化し去る現象を能く其通りに爲すを得ば。其爲生はよく出來たるなり。些の油断なく。深く考へ。隅々までも洽く意を注ぎ。かくして活氣ある自然なる寫生を得べし。まづ思ひ通りの寫生を爲し得ば。今度は他の紙に細部分の綿密なる習作を試むるも面白からん。これは追て大作を造らんとき用ゐん爲めなり。寫生と習作との特性に就ては既に述べたれども。寫生も習作も實際に如何なる風にて出來上るものかを少しく談るべし。
寫生畫は見て面白き其上に。完成せる畫よりも能く畫家の性格を表はすものにして。畫家が殊に深き興に乘じ自然を感じたる其趣味に外ならず。それ故に寫生は之を保存し置くの價値あるべし。思ふにターナーの如き大家の寫生には寧ろ其大作よりも多く學ぶところ有るべく。反つて完成せる作にありては此畫家の心理的態度が餘程扮飾されたるものあるを見るべし。倫敦の美術舘を參觀するに當りては能く此點に注意するを要す。(續出)