藝術小言(承前)

比奈地畔川ヒナチハンセン 作者一覧へ

畔川生
『みづゑ』第三十五 P.4-6
明治41年4月3日

■藝術の生命は何かと云ふたら一口に新しみ變化感じといふ三ツと答へることが出來ると思ふ、けれども如何に新奇に如何に變化多類に如何に具體的に感しが出て居ても我々は個人趣味といふものが作品の上に顯れてなくてはならぬと思ふ、以上の三者を總括して此の個人趣味といふものが無い藝術は全然藝術の價値生命を具へて居るものてはないと思ふ。
■雪舟でも光琳でもラハーエルでもターナーでも其他千百知名の美術家でもみんな個人趣味を遣憾なく藝術の上に表はしてゐる、それが難有いのである、けれども我々はもう雪舟や光琳やラハーエルやターナーや其他千百知名の美術家そんなものゝ再現を望まない、もうそんなものは出てくる必要はない、それに匹敵した樣な大な美術家が出てくれば何よりだけれどもより小さくても己を得ぬ、以上の人々に類似して居ぬ摸倣して居ない一口に云へば個人趣昧の遺憾なく表はされてる處の新しいものゝ現はれんことを望むのである。
■どんな立派な技倆がありどんな天才のある人でも自己の理想を表はし自己の特技を顯はし得ない樣では眞の藝術家ではない。
■畫を學ぷとしても自己の師がした通りのことを師に類似した程度まで行つたとしても藝術の生命は足りては居ない、科學と違ふのは之等である科學では蛙の卵は蛙になるのは必然であるけれども藝術は必ずしも蛙から蛙は出ぬ、また出ないのを望むのである、藝術の生命は個人趣味の發揮であるといふことを絶對に頭におかねばならぬ。
■現今日本畫のあるものが摸倣と陳腐とで反復されて價値のないといふことは要するに如上の意義を解して居ぬからである、それは先師の見識のないとか修得の方法が狡まいとかいろいろの拘束から知らず知らずさうなつたのも一原因かとも思はるゝけれども粉本を以て唯一の金科玉條と思ふてゐるやうでは迚ても繪は描けぬ、また寫生といふことは洋畫にのみ限られて居るやうな狭い考ではとても畫家にはなれぬ、洋畫も日本畫も藝術といふ上から論ずる日になれば何等の變はるところはない、唯その間に用ひられる手段方法を異にして居るのみである。
■紛本を學び先師の教を乞ふと云ふことが必ずしも惡いことではない、幼稚な經驗や初學者にあつては唯一の主段であらうけれどもまづ自然といふものからどうしても或る物を捕捉してそれへ自巳の天才技能を充分表はさなくてはなるまい、藝術家が自然を愛惜するのは半面から云へばこゝである。
■一口に云ふと寫生といふことがその手段になる、近來藝術の傾向として自然とか寫實とか云ふことが喧ましくなつて來た、文學の自然派なとに付ては大分議論が沸騰してゐるけれども兎に角人間意識の程度が自然を離れては承知せぬやうになつた、往昔でも人間が存在して居る處には必ず藝術樣のものがあつてその美を樂しむといふことはあつたけれども、今からそれ等をみるとあまり自然を離れた淺薄幼稚なものであるが人知の進歩啓發に伴ふてそんなものでは承知が出來なくなつた、眞を求めるといふことの要求が出て來たのだ、寫生寫實自然などゝいふ語が大分いろいろなものに應用される。
■然し眞を寫すといふことも程度問題であつて先回にも吾々は吾々の主張として述べたけれども藝術の眞諦は决して眞を誤謬なく寫すといふことではない、無論眞を離れて在り得る理由はないけれども自然の模倣自然の反復を以て藝術の本義と思ふてはならぬ、藝術は人間の理想を通して顯はされたる産物である、自然は藝術の爲めに利用されると云ふてよいのである。
■然し藝術の本義はこれにあるとしても今畫を學ぷといふ上からしては飽くまでも自然を標傍として學び自然を忠實に研究しなくてはならぬ、如上の意義を頭に置て寫生から自分の理想技能を表はさなくてはならぬ。
■洋畫は云ふに及はす日本畫の名畫といふのをみても如何に寫生趣味が★溢として作品の上に表はれてるかゞ解かる、一貫した寫生の趣味を個人個人の技能によつて表はしてゐる。殊に光琳などの繪は最も大膽に最も奇抜に然も寫生を離れず描き表はされてゐるところの物として我には絶賞に價するのである。
■日本に於ける洋畫は實に過渡時代である、初學者を誤り安いのと進歩の遲々たるのは實にこゝにある、摸倣と反復と千篇一律に流れ安いときである。
■繪をやらうと思ふ人達が第一番に頭に置かねばならぬのはそこである、單に寫生といふことのみを知つて無意義にやつて居つても駄目である、その證據には寫生して來た繪がやつぱり師匠のやる通りの手段によつて描き表はされて居り描くものもその師に接近しやうと計り思ふてゐるのが多々ある、その意義を謬まつてはならぬ、寫生は自然を手本として自分の感しを描くものである、自分が主で自然が客である。自然を賛嘆してもよいけれども自然に眩惑してはいけない。
■如上の論旨としても初學者にあつては六ケ敷注文であるけれども、紛本も譯山見、師にも澤山廳問することは見聞の智識から云ふては可いことであるけれども、自己特有の技能を顯はさんことを務めなくてはならぬ、此心掛けは寸時も離れてはならぬと思ふ、又師としてもその人の先天的技能には充分啓發の余地を與へてやらなくてはならぬ、どんな立派な師匠でもその師匠の理想を直ちに弟子達に傳へやうとしてもそれは駄目である、藝術計りはさうは行かぬ、さうして教ゆべきものでも習ふべきものでもない。
(以下續出)

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