靜物寫生の話[三]
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第三十五 P.11-12
明治41年4月3日
△其次には物質の配置である、靜物寫生も一二個の單純なものを寫すだけなら容易なものであるが、漸く進んで種々なる異つた材料を按排して寫生することになると、物質の配置にも注意を拂はなければならぬ。
△物質の配置とは、硬きものに對する軟かなもの、透明質に對する不透明質、粗なるものに對する滑らかなるものといふ類である、そして一概にそうといふことは出來ぬが、通例光澤あるものや剛くして輪廓の鋭ぎものなどを注視點に近く置くことになつてゐる。
△靜物畫の稽古を續けてゆくには、絶えず材料を變へて何でも描き出せるやうに力をつけて置たい、一つのものを幾度も續けて充分研究を積むといふのはよいことではあるが、又其性質の異なつたものを描き現はす方法を知ることも必要である。
△鐵瓶と溌團とは性質が遠ふ、絹布と木綿とは其感じが異ふ、靜物寫生の必要はそれ等の性質を充分描き出す力を養ふことにある、即ち鐵は鐵らしく、綿は柔らかに、絹布は光澤滑らかに、木綿は鈍重にといふやうに、其物質に應じて、さぞ暖かであらう、さぞ冷やかにあらう、硬からう、軟かであらうと、一見して其物の性質が見えるやうに正確なる描爲をなさねばならぬ。
△果物や野菜を畫いて水氣のない干乾らびたものになつたり、魚は干魚となり、生花は造花と變じ、木綿の布が毛織物に見えたりするのは珍らしくない例である。靜物寫生は繪畫の第一歩であるから、其畫いたものが紙の上に繪具と見えてもいけぬ、繪と見えてもいけぬ、誰が見ても實物と見えるまで進んで研究しなくてばいけぬ。
△靜物畫研究の位置の取り方については前にも言つたが、初學の人のやり方は、目的物を眞中へ小さく畫いて餘白を多くする傾きがある、研究は目的物が主である、後ろの布地など多く出すとそれを描くために徒らに時間を消費せねばならぬ、それゆへ時によつては目的物の一部分は畫面の外へ出ても構はぬ、學校の試驗の時のやうに、大きな紙の中へ小さなものを描くのは醜いばかりでなく何の稽古にもならぬ。
△以上で靜物寫生の心得は粗ぼ盡きた、これから極初學の人のために、鉛筆畫より一色畫、着色畫といふ風に個々について説明を試みてゆく、但前の講話と重複する處もあるが、出來るだけ詳細にお話するには止を得ぬことである。
△先づ墨畫からいへは、繪を學ふに一番輕便な材料は鉛筆である、鉛筆は輪廓をとる稍々硬いのと實體を畫く軟かなのと二本あればよい、普通前者にはHB後者はBB印を用ひる、イーグルの140號なとは輪廓にも蔭影にも使用することが出來る。
△紙はB印の畫洋紙がよい、ワツトマンやケントは仕上げが美しく出來るが、紙が硬過て面白い調子が出ない、其他に畫板と留鋲とゴムとあればよい、畫板は畫用紙四ツ切大のがよい。