關以雄『色と衞生上の關係』
『みづゑ』第三十五 P.20
明治41年4月3日
適當の色は人心に活溌愉快の感覺を與へるものである、人間の視感は色に對して活動を起すもので、ある種類の色は眼の健全に欠くべからざるもの、又腦の健全は視官の感覺によつて生じたる神經の作用如何に關係すること尠からぬもので、然かも神經の作爲は色の種類によつて差異のあるものである。
凡そ神經は赤色を見る時に亢奮し、縁色を見る時に慰安し、藍色を視る暗に殆と麻痺するが如く、黄色を視る時は視官の感覺を強くし、白色を視る時は開豁の情を發し、光の薄弱なる時は疲倦し、光の過敏なる時は注意力を薄弱ならしめ、且不安の心活動の情を起し、陰影にある時は精神をして注意思考並に休息に適せしめ、暗黒なる時は欝憂の念を生ぜしむるといふことである。元來人の精神は感覺によりて變動を生ずるものであつて適當の色を見ざる時は精神の活動を來すことは無いので、赤色は然かも疲倦したる機能をして健康の作爲を生ぜしむるも眼に適當したる色なのである、若し室内に在て久しく視力を勞したる後、大空の藍色を見、又遠方の風景を見る時は、眼は之に滿足して視力を慰勞せしむることが出來る、而して色の變換は實に必要なるものであつて、視力は色によりて慰撫することを得る、即ち清夾壯快なる遠隔の色にして、黄白明暗を混合したるものを見る時は、安息することを得るのである。
久しく純黒なる或は純白なる室内に閉居する時は、白痴又は欝性の病を生ずる傾向があるといふことである、沙漠或は積雪の白き閃光によりて失明したる例もあり、又暗黒なる獄舍に閉居して發狂したる實例もあり、緑色の覆面紗に代ふるに褐色を用ゐて實効を收めた學者もある。要するに人の健康及快活を得んと思つたならば、色の撰擇は審美學の學理に基き、正當なる感覺に適し、天然の眞理に從はねばならぬ云々(關以雄氏『色と衞生上の關係、』小學校)