寄書 吾等の月次會

木炭の屑
『みづゑ』第三十五 P.21
明治41年4月3日

 水彩畫會研究所二月の月次會は二十三日午後より開會され出席者三十人程、陳列の繪畫は四十枚程であつた。この月は太平洋畫會の石井栢亭先生が來られて、一々親切な繪畫批評があつた。批評が濟んで着席してから、石井先生は所感として大要左の如き談話があつた、曰く
 近頃巴里ルーヴルにある名家のデツサンを集めたものを見た、デツサンであるから版でも着色畫よりは眞を傳へてゐる、それで見ると、人によつては組立つた一つの立派な繪よりも此デツサンの方が面白味が多いと思はるゝものが澤山ある、これは一つは材料の工合にもよるので、油繪や水繪では繪具を調合してゐるうちに、粘つたり何かしてそのうちに感與を失ひ易いが、木炭とか鉛筆とかになると、自分の考をづんづん描いてゆくことが出來るためでもあらうが兎に角このデツサンを見て感じたことは、畫家として、何も必ずしも油繪で大作を描かねばならぬといふことはあるまい、繪の大小は元より問ふ處でなく、又其材料が油であらうと水彩であらうと墨繪であらうと構はない、何でもよいと思ふ、要は自巳に尤も適した材料によつて、自巳の感じた處を充分描き出しさへすればよいので、畫家であるから何でも大作を畫かねばならぬと思ふのは、囚はれた思想であらう、但展覽會等へ出品する繪は是は別物である。
 次に繪は感興が大切である、感興を現はすには常に充分正直な寫生をして置くのは勿論であつて、一枚の繪の稽古に、正確の描寫といふことゝ、感興を現はすといふことゝ、同時には出來ぬであらうが、詰り繪は感興に重きを置くべきものといふ事を心得て置く、將來その方の繪を作るやうにされたい、私など出來る事なら、常に鉛筆とか木炭とか又は小さな水繪具とかを持つてゐて、何處でも何時でも、面白いと思つた、即ち感興を起した時直ぐに寫生をするといふ風にしたいと思ふてゐる、此處は面白いから此次寫生に來やうなんて、言ふてゐると感與を失ふて仕舞ふ云々
 次に大下先生のロンドンに於けるロードレートンスハウスを見た時の感として、立派な繪を作るといふことは順序さへ踏めば决して難事でないといふことを話され、それより所員有志の餘興に移りて薄暮散會したり。

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