岐阜第一回洋畫展覽會

M生
『みづゑ』第三十五
明治41年4月3日

 三月一日岐阜市倶樂部に於て第一回洋畫展覽會を開かる、催主は商工新報社長原眞澄氏にして、當市洋畫界の甚だ振はざるを憤慨し、自から立つて此擧に出づと、好意多とすべきなり。
 出品總數大輻小幀約五十點、その多くは水彩畫にして、油畫七點パステル兩三點を見る、出品者の氏名を檢するに野崎兼清氏その大部分を占め、他に矢野氏伊藤氏柳田氏等ありき。出品數乃至その實質の如何に係はらず、此擧、當市の人目を惹きたること夥しく、更に第二回を名和昆虫研究所に於て催さんとの企、一部の人々の間に唱へらる、想ふに當市の洋畫界之れより次第に盛んなるものあるべし。(M生報)

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