イースト氏寫生談 戸外寫生[下]

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第三十六
明治41年4月18日

 寫生は大急ぎに爲すをよしとす。そは光線が刻々變りゆく其間に物の形状等を叮嚀に現はすことは困難なるが故なり。朝は影が左より落つるとしても夕方になれば右より落ち。其間終始影は景色の模樣を變らしむ。勿論日光を止め雲霧を縛することも出來ざれば。我が自由のきく範圍内にて最上策を採らざる可からず。併かも專心寫生に熱注する間に、微妙なる自然の光景を能く觀察せんことは困難なれば。之れを分解して別々に研究するの必要あり。今畫かんとする畫題の各部を別々に鉛筆畫にて研究することは有益なるのみならず甚だ面白きものにて。此の如くして大作に用ゆべき材料の數々を集むるを得べし。寫生の際は。不完全なる畫を作らんとする勿れ。不完全なる畫は寫生に非らず。又た稽古と云ふより外には何の價値もなし。
 風景畫には三の順序あり。曰く寫生。之れは主として色彩を研究するもの。曰く習作。之れは專ら形の正確を期するもの。最後に曰く畫。之れは寫生の清新なる印象と習作の正確なる形状とを綜合したる者なり。畫は即ち終局の目的にして他は之れが手段なり。故に實を云へば。先づ手段を充分に研究せざる以上は終局の目的に達すること難し。尤とも寫生は色が主なれば形はどうでもよいと云ふには非らずと雖ども、寫生の本來の目的たるや。形には多少間違ひあらうとも色彩は凡て正確ならざる可からずと云ふにあり。形は常にあれども色は絶へず變化す。之れを双方共同時に捕ふるを得ば此上なしと云へども。面白き光景現はるゝに際し形を專ら寫さんとせば色彩は終に完きこと能はず。又た大體の形状は寫すを得べしとも全く意を自然の色彩に熱注せんか形は勢ひ忽かならざを得ざるべし。
 風景畫は畫家が我が感じを現はしたるものなれば。人により自然の細々したる部分を感ずるもあり。又た廣き大なる處を感ずるもあり。要するに誰れにても自然を愛するものには必ず其酬あるべし。我が求むるものは自然は皆之れを與へん。山岳は土塊より成る其土塊が欲しゝとならば直ぐにそこに在り。噴火の煙に交ざる雲が入用とならば之れ亦あり。塵煙土塊を撰むも將た峨々たる高山を撰むも皆隨意なり。草の葉一枚々々を畫きたくばかくを得べし。凡て勝手にして少しも制限なし。併し緑を敷ける春野に草の葉を求め金波動く秋郊に稻の莖を擇むの要あらんや。野は草の葉掩へるを知ると雖ども。一々之れを見るに非らず只だ全體の色と形とを見るのみ。廣き大體の感じを得ば。之れ自然に對し忠なるものなること尚ほ普通は見ざる無限の細部分までも感じたると毫も異なることなし。木は枝葉茂り生あり風を含むと云ふことさへ分れば。葉を一枚々々細かに現はせるよりも反つて人は承知すべし。要するに樹木と云ふ一つの生物を現はすが目的にして。細部分の寄せ集めにはあらざるなり。毎日自然に就て習作と寫生とを怠らざれば必ずや追々と大なる畫をも試みんとするの勇氣も出で。又た筆を下さゞるに紙上に躍如として其畫を想見するに至るべし。
 初めに木炭を以て極大體の輪廓を引き。其上を鉛筆にて畫き後木炭を拂ひ去るべし。練習を積まば輪廓を畫かず直ちに色を着くることを得るに至るべし。繪具は手順よくパレットに配置す。即ち黄赤青緑の如き順にして。又た繪具の配置を一定の順序に定むることは寫生の際時間を節約するに肝要なり。大急ぎに變り行く光線の關係を寫生するに當りては時間は極めて貴重なり。今見ゆる處は忽ち消滅し又た記憶にも中々覺へ難きものなれば。此間に繪具を彼是と尋ぬる如き暇あることなし。故に何色は何處にあると能く分居ること音樂家がピヤノのキーの位置をよく知れる如くならざる可からず。繪具はたつぷりと筆に含ませ明瞭大膽にかくべし。
 日のあたる處又た雲の影が落ちたる蔭の處など。調子や色彩に少しも相違ある可からず。光線蔭影の區別を確かと見極め之れでよしと思ふ處を畫くべし。若し未だ意に充たざれば暫く止めて丁度よき光線の來るを待つべし。雲は色と形とを巧みに配すべし。雲の影は地に落ちて。構圖に面白き配置を示し又た景色の遠近を現はすに大なる助けとなるものなり。山腹の森は影となりて手前の土藏が日に輝くを見れば。森の蔭のときと日向の時との關係如何と容易に識別すべし。野に日は照りて萌ゆるが如き緑草も。日が蔭りては餘程落付いて見ゆるべく。カドミユムやオキサイド、オフ、クロミユムの如き明るき色をなせる前景の輝ける草も、日蔭とならばコバルトにイエロー、オーカー又はカドミユムにフレンチ、ブリューの如き色を現はすべし。
 中景または遠景の色は近景の如く冴へざれども。目には凡て同じ感を輿へざる可からず。即ち草は如何に遠方にありとも近景にあると同じく草と云ふことが明瞭に知れざるべからず。一見して直ぐ之れは何んであると云ふことが分らさる可からず。樹木家屋其他目に馴れたるものは其大小によりて遠近を直らに示せども。山腹の草原の如き廣き塲處にありては。之れと異なり。空氣の色を察し正しき調子を以て其遠近を現はさゞるべからず。
 何人も中景を以て畫くに最も困難なりと爲さん。畫家の中には前景に用ゆる色を少しく薄くして中景に用ゆるものあれども。之れ大に誤れり。中景遠景をかくには繪具を全く換へ色の混ぜ方も凡て新らたならざるべからず。前景の草には濃き緑色を用ゆるとも。中景にはイエロー、オーカーと青を混じ。遠景にありてはロースマダーにイエローオーカー若くはアンパー等を加ふるかごとし。
 前景。中景。森。日の當る土藏。田舍家を畫き終らば寫生は略ぼそれで出來上り殘る處は空のみなり。空の調子は風景の全體に能く照應し。雲の影は景色と能く關係調和を持たざるべからず。
 雲の形は畫の位置と配合し。又た雲の有樣は畫かんとする風景の有樣と相伴ふべし。雲の大小をも能く研究し之れが爲め草原の廣さ。中景若くは遠山の距離を害さゞるやう注意を要す。既に空をも畫き終らば次ぎは畫の大體に就て必要なる加筆を爲す。即ち極遠景の景色と空と接する部分に少しく畫き加へ。或は前景の水溜りには青空を映さんか雲を映さんかを考へなどすべし。此場合に至らば决して急ぐべからず。先きに畫きし光景は既に過ぎ去り又た最初に感じたる有樣は更らに之れを究めん由なし。形は猶殘るとも色彩の關係は只だ自然に俟つの外何人も案出すること能はず。故に之れにて今日はお仕舞にするか。若し又たそれに滿足せざれば明日天氣よくば再び來りて同じ有樣の場合を畫くべし。漸く研究を經れは自得する處ありて困難も減ずるに至るべし。
 次號以下には自然に對する態度並びに構圖につき氏の言説を譯出すベし。

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