繪畫と寫生、中村不折氏
『みづゑ』第三十六
明治41年4月18日
從來日本では寫生の字を其物の通りに畫くのだと解釋して居つた、寫眞と同じものと思つてゐたが、西洋ではスケツチといふて花なら花を見て綺麗なもんだと思ふ、その綺麗だと思つたことを畫く、これがスケツチ即ち寫生で、花の形ばかりを寫すのでなしに心を寫す、尤も形が出來なくては心が完全に寫せるものではないから、大に形の上の研究もやる、これが花とか山とか木とか家屋とか單純にそのものゝ感じを寫すのみでなく進んでそれ等を澤山に集合して一つの感想を自分から組立てる、語を換へていはゞ、寫生を組合せて一つのものを作るとなると、此時初めて繪畫の資格を與へられるものである、其實例は櫻の花の艷な處を寫さんか、單にこれのみなれば櫻の寫生といふべきだ、これに夜といふ境遇を被らせて、月といふ多情なものを添える、これが出來上るともう櫻の寫生ではなくて、春の夜といふ繪になる、も一つは菜の一枝を瓶に挿んで見る、菜の寫生と瓶の寫生とが集まつて又一種の感想を作る、前の櫻と同じことで單に菜の寫生ではない。(繪畫と寫生、中村不折氏)