春季寫生會
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
汀鴎
『みづゑ』第三十六
明治41年4月18日
日本水彩畫會研究所では、二月初めの頃から春季寫生會の相談があつて、時は三月の二十一日、場所は東海道大磯で、一泊旅行と决定し、掲示したら申込者が續々あり、終に三十餘名を數ふるに到つた。
彼岸に入つてより兎角雨天勝ちで、三月の二十日にもかなりの降りで明日の天氣は甚だ覺束ない、てるてる坊主を拵へるものもある、若し雨が降つてゐるといふ言葉を出すと罰金だといふ約束が出來て、『アヽイヽお天氣でビシヨビシヨしてゐる』なんど隨分奇抜な文句も出た、終には此位降ればタトヱ明日は雨でも、其次の日は屹度晴れるから、降つてゐても明朝出發するといふ動議が成立して、急に居合さぬ人達ヘハガキを出すといふ始未だ。
いよいよ二十一日になつた、空は拭ふが如く月の光が冴え渡つてゐる。五時半江戸川の停留場へ往つた、電車は來て居たが脱線して中々動かない、甚だ氣になる、漸く出たら滿員のお蔭で急速力、途中二三の會員を合して豫定の時間前に新橋へ着いた。
新橋には二十四五人程集まつてゐる、昨夜の空模樣で見合せた人もあるとの事だ。六時三十五分發車、車中では彼方でも此方でもスケツチが始まる、乘合の客は大抵鉛筆の尖に罹つたであらう、氣の早い連中は隅の方で畫の辨當を平げてゐる、横濱からみどり會の人が二人乘る、支部の人が一人乘る。汽車の戸塚邊を走る時空模樣が怪しくなつて、雨、霰、續いて雪となつた、南の窓は惨憺たるものだが、北の窓は蒼空で失望した天氣ではない、それでも婦人連は尻込して、茅ヶ崎で下りる豫定を大磯迄直行と决した。
やがて茅ヶ崎へ着いた、風は寒いが日光は華やかに射してゐる、一行は脱兎の如く停車揚を出て本道をゆく、予とケー君とゼツト君とは海濱南湖院へ向ふた、こゝに日本中學の杉浦先生と文豪國木田君を見舞ふためである、かくて馬入川の岸で一行に合した。
川の両岸では皆々熱心に寫生を始めた、目指す敵は大山である、大山一名を雨降山といふとか、あまり皆ンなで責立てた爲めか、又もや黒雲が西の方から掩ひ冠さつて來た、やがてポツポツ落ちて來た。
十二時に近き頃、汽車乘遲れのエヌ君とエス老人、并びに寫眞器もちたる一人の技師が來た、技師は直く歸京するといふので、急に一同を招集めて撮影をした、離れてゐてレンズに入らぬ人も五六人はあつたらう、夫から橋の袂で晝食をすませ、徐々に大磯へ向つた。中には河原に殘つて朝の寫生を續けてゐる人もある、海岸へ出て三脚を据へた人達もある。
二時頃大磯へ着、こゝの海岸でも三々五々寫生を始めた、船を畫くものもある、海を寫すのもある、三たび黒雲の襲ふ處となり、寒風に連れて急雨面を撲つに耐りかねて、一同道具を纏あて旅舍田村屋へ引上げた。
田村屋の廣間には火鉢に火が熾んに起つてゐる、盆の上の煎餅は八方から出る手のために忽ちに消えて仕舞つた、寫して來た繪を修正するもの、知人への繪葉書を描くもの、湯に入るもの、お饒舌するもの、それぞれ何れも忙しい。
夕飯が濟んでから出掛た人もあるが、同行者を調べて見ると四人不足だ、みどり會の人達は平塚から歸つたやうだが、研究所のオー君とアイ君が見えぬ、ドーしたのだろうと心配してゐると八時頃やつて來た、オー君は手に鴎の生きてゐるのを提げて、椽側に突立つて、宿の名を知らなかつたゝめ大磯平塚の間を三度も歩行いて尋ねたといふ、其鳥はドーしたのかと問ふたら、海岸で寫生してゐる時傍へ來たから、三脚を叩き付け手捕にしたのだといふ、両翼を擴げて見たら四尺餘もある、大した獲物で、オー君にとつては恐らく今日の寫生畫より此方が値打があるであらう。
人も揃つたので、寄附金で虎子饅頭や密柑を澤山買て遊びを始めた、カルタは一向振はなかつたが、アンマさんは大當りで、奇想天外より墮つる的の隱し藝も出た、例の吊し喰もやつた、かくて夜も更けたので、一照明日の寫生の成功を祈りつゝ臥床に入つた。
明くれば二十二日、一點の雲もなき好天氣で、朝の三時頃より起きて騒いでゐる者もある、東も白まぬうちから寫生箱を肩にしで飛出す連中もある、七時頃には皆一二枚の獲物をして歸つて來た、そして餓虎的體度で朝飯をすませ、大々的握飯の包みを一つ宛腰にして、是からは銘々自由行動をとる事として爰に一先寫生會を解散した。
予等一行九人、富士を寫さんとて千疊敷へ向ふ、登路峻しくヱス老人大に艱む、山上にはさきに別れし五六の所員ありて頻りに筆を揮つてゐる、今朝は富士も鮮やかで、海も平で、眺望極めて佳なりである。十一時下山、エス老人は茅ヶ崎へ、予等は約あれば停車場へ向ひ、藤澤より江の島、こゝに見物をすませ、夫より鎌倉長谷に三條家別邸を訪ひ、公爵並びに夫人の懇篤なる待遇に、合作やら繪葉書やら時をも忘れて樂しみに耽り、漸く九時の汽車に乘つて夜半無事歸京した。一行の間に起つた滑稽な出來事は、別欄に各々出品してあれば就て見られよ、但こゝに載せざるものは極々つきの内所事と知り給へ。(完)