寄書 自分が水彩畫の初め

内堀良民
『みづゑ』第三十六
明治41年4月18日

 恰度去年の正月の事、年初の客の往來も少くなく吹雪のはげしい日であつた、餘りに無聊であつたので直ぐ近所の小學校の先生の所へ遊びに行つた所が例の通亦畫を書いて居られる、中學世界の口繪だ、よく飽きないものだと思うて見て居ると二三十分で仕上つた樣だ、二間許彼方の壁へ張つて頻りに目を細くして眺めて居られる、上手だらうと云はれる成程目を細くして見ると美しく見えるから下手ではないと答へた、「君は幾度云うても書いて見せんね」「馬鹿らしくてさ」「面白いよ書いて見給へ」「なに畫家になるじやなし氣狂じみた」と云うて居ると其所へ矢張畫の好きな先生が來られた、さあ馬鹿にする、冷かす、美術的思想の無いものは哀むべしだとか何んだとか大變な熱を吐く、よろしい!驚く樣な物を書いて見せよう、強情にも、と决心して早速家へ歸つて來て三宅先生の富士の畫を、先づ中風病の樣な線で輪廓を取り、色色と色を捏ねて彩つて見た、元來畫は下手で好まぬ方であるから上手に書ける譯がない、それでも自身自慢で直ぐ持つて行つて見せると賞める所か大笑い、此野郎と思つたが今度こそはと思ひ返して翌日は日曜日なので朝から書き初めた、仲々うまくゆかぬ、其中に悔やしくて涙が出て來る、漸くの事一日中書いて一枚仕上げて見ると前のより幾分よい、さあうれしい、止め樣もなくうれしい、持つて行つて見せると前より餘程よいと云はれる猶々うれしい、面白い、
 扨たまらん毎日毎日學校から歸へると畫筆を持つたぎり何もしない、
 斯んな事が二ヶ月許學期試驗となり其も終へて試驗休も畫筆と畫用紙で暮し漸々三學年になつたが如何程忙しくも二日と書かないでは居られなかつた、其中に前の先生が春鳥會發行のみづゑを示された、自分は驚きもし、勵されもした、
 そうなると畫と名づける者は何んでも見落す譯に行かぬ、雜誌のカツトであらうが、錦繪であらうが、新聞の挿繪であらうが、手あたり次第だ、それかあらぬか第一學期には今迄善くても六十點位であつたのか八十五點となつた、其時自分は天にも昇る心地がした、
 秋の十月の末淺間へ登つた時、朝霧が霽れて鬼躑躅や櫨の眞紅なのを緑樹の間に眺め、歸途桔梗色なる彼方の山から、薄紫したる林梢に盆の樣な黄色い月を眺めた時、云ひ知らぬ畫興に胸を踊らし心の美しうなるを覺へた事があつたが是も皆繪の賜かと思うと今更感謝せずには居られない、終

この記事をPDFで見る