寄書 畫題數種

晩雨
『みづゑ』第三十六
明治41年4月18日

▽トンネルの中は、吾人に一つの畫題を、供して居る。此の世から不意に、地獄へでも落ちた樣な、感の起る刹那、パツと光るマツチ、阿彌陀樣にでも會ふた樣に「安心」てふ表情をした、優美な圓滿な曲線を有する女の顔や、剛、健、壯、強などを表はす凹凸多き男の顔而が、ハッと思ふ瞬間、思はぬ光明に會うて、この一點の救主に向つて集中する、其時各自輪廓だけが赤く、ハツキリと、暗の中に見える。此瞬間には、汽車中にある感は全く去ツて、ただ何とも知れぬ神秘なインスピレーシヨンに打たれるものである。
▽十一月頃から三月頃へかけて、海岸の空氣は何となしに重くなる。而も午前中は一層である。此の頃、海岸では船の底裏を燒く爲半ば傾いた漁船の下から、藁火がボッボッと燃えだして、そんなのが向を變へ、位置を變へて、三ッ四ッ、バツクには重き空氣に閉ぢられた松林(或は大海原)を置いた景色、サシコを着た漁夫が其點景となつて居る。之一の畫題とすべきものである。
▽關西の田舍には、大抵何處にでもある景色だが。スヽキといふ物は、余程畫趣のあるものだ。一つの村があれば、大抵は小川がある其両側の堤に沿ふて、櫟が高く低く連つてある、其落葉した櫟に、秋から初冬へかけて、順撲なる農夫によつて作られるのである。其冬景色(廣くとれば田舍特有の茅屋が、遠近に畫面へ浮ぶ)そは確に一の畫である。
△蔦、之れも畫趣あるもの、古寺の蔦、老樹の蔦、古塔に對する蔦は、總べて畫味ある配合である。ワシントンのスケツチブツクにI saw the moudering ruin of an abbey ovirrun with ivy.”とある。日本の癈寺は或は、色彩に乏しいかも知れぬ、併し其所に又雅味もあれば、俳味もある。而も其破れた壁に、褪色した朱塗の柱に、骨の碎けた狐格子にからみついて居るに至つては、即ち畫である。此の女性的の優しい植物が、何百歳にもなる老杉の、折れた枝を、からくも支へて居るのは、實に詩である、畫である。
▽去年夏、高野山下に一鑛山を訪ふた時。坑内に案内せられて、自分は其處にも一つの畫題に觸れた。娑婆から隔絶した別世界の樣な、暗黒界で働いて居る坑夫、淡赤いカンテラに照された其顔(終日否一月も一年も、太陽に照された事のない青白い)、其手に握つた金槌、腰に佩いた金棒、異樣な形に掘り碎かれた周圍の鑛石、滴り落つる水、之等を綜合すれば即ち畫である。其顔面の表情と周圍の光景は、人間社會の中にも、こんな生活、坑夫生活といふ一種の浮世の日を浴びぬ生活があるといふ事を、表はす事が出來るだろう。
▽自分は大和の十津川で數ヶ月を暮した事がある。あの地方の人は、未だ昔の武士を忍ばれる面影がある。其人達が、異樣な袴をはいて、之れも昔の名殘なる圍爐裡を圍んで焚火をなしつゝ、撲訥な世話しに耽つて居る光景、彼等の顔には、「不安」もなければ、「野心」もない。實に凋落した武士だ。こんな光景を度々見たが、今から考へれば好畫題たるを失はず。

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