寄書 日記の一節
上原生
『みづゑ』第三十七
明治41年5月3日
靜かに晴れた山中の一孤村、四面は見上ぐるばかりの山脈連りつらなつて頂きに降り殘した雲の紫きぼく霞んだのが何んとなく寂しい色に見へる外は、朝日のさす所は一面にのどかな景色である、之れは丁度津山から羽出に行つた翌朝のことで、朝飯とても食ふ程のものもなく、僅かに腹を滿せるば.かり、腰に用意の辨當一包づゝ持つて朝八時頃羽出村を出發した、直く急ふな坂を登つてうねりうねり四方の連山脚下に見下して田代峠にさしかゝる、萱のみ多い裸山を登れば登る程、眼に入るものはなく只茫々と廣い計り、斑の雪の蔭が紫色になつて其間に枝疎らな雜木が暗い色に連つて居る。
道は行っても行つても同じよふな色で、直く前に見へる山の角を一つ曲つて最ふ頂上だと思ふと、又前に長い岨道がうねうねして、遙か彼方の角につゞいて居る。崖に投げる樣に枝を出した大木には霧藻が一面に着いて居て、そよ吹く風に靜かに動いて、空のコバルトに山の色の茶褐色、大木の枝は稍紫ばんだ褐色に、霧藻の色は淺いベルトコバルトに輝いて居る。此所に來るまでに面白いと思ふ所を二三ケ所のスケツチをした其れから約三時間ばかり變化のない道を行くのてある。
急に山頂に出てたが其落葉に埋れた道は何處ともわかりかねるのを雪の中の足跡に探してあて、木の枝にすがるよふにして急ふな坂を降ると俄に轟々と鳴る風の音、谷と谷の門の細道を丈高ひ大木の林をゆする風は北方の谷から吹き上げて來るので、身を切るばかりの寒さを覺へるのに、日光達かぬ山蔭の雪は、空の反射て一面に蒼く、谷の底までも見るるかぎりは雪ならぬ所はないのである。一行は終に此所で晝飯を喫することにした、枯れた草、落葉の乾いたのや、枯枝を拾つて火を起し、藍色に立ち登る烟を圍んで飯を食のた、そして卅分ばかり彼方此方をスケツチをして終に出立した道は其れから下り計りで膝まで沒する山蔭の深雪の中をざくざくと蹈みしめて數町下ると先きに立つた一人は思はず立ち止まつた、見ると右の林から左の林へぬけたらしい掌よりも餘程大きな獸の足痕がある一行は顔を見合はせたが、其れよりは一目さんに林の中を駈けるよやうにして走せ下るので、一時間ばかりで雪のある所をすぎてしまふと日の光りにぶく、四面の色は暗く沈、んで風は冷たく、全く峠を下りた時は、あちらこちらの草屋にちらちら燈火が漏れて居た