イースト氏寫生談 搆圖[上]

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日

 風景畫に於ては搆圖なるものほど最も簡單なるが如くにして面倒なるはなかるべし。畫上に物の形を配置すれば之れ即ち搆圖にして此處に困難を感ずるものなり。搆圖の惡しきを見るは容易にして。明らかに惡しゝと分るものは之れを避くるに難からざれども。之れは惡しくはなしと云へることと之れは立派なりと云へる其懸隔は甚だ遠し。何人も實景を其儘採るものはなかるべく。寫眞師と雖も自由のきく範圍内にて其材料の取捨に苦心するなり。况んや畫家には一層の自由あれば責任も亦大なり。寫眞師ならば機械の爲めと云へるにて恕すべき點もあれど。畫家には全くなし。搆圖は。畫家に對すれば早く既に眼前に横はる問題にして。又た獨り畫に限らず。音樂文學建築等の他の美術にありても此搆圖と云ふことは肝要なるものなり。尤も自然は風景畫家に對する如く多くを他の美術家に示さずと雖ども。幅、重み、作風等は何れの美術に於ても均しく現はるるものにして。且つ何れにありても大切なるものなり。
 畫家が自然の中に好き形を認め。之れを綜合して大なる搆圖を作り得べき其價値を悟ることを得ば。之れ其畫家は搆圖の如何なるものなるかを知れるなり。若し之を認むること能はざる畫家ならば。搆圖は我が意の儘に自然に見る諸種の材料を取捨して思ふ處に適合せしめ。我が目的に要するものを撰擇する難事業なれば。之れには到底手を下し得べきに非らず。されば搆圖の術に於て畫家は成功するも失敗するも皆我より出づるなり。
 搆圖の妙は其畫の趣を増さしむ。實景には幾多の穽や網ありて。畫家が自然に親しむこと深ければ彌々之れを避くるに困難なれば。其積りにて用心肝要なり。無用の細かき部分は如何に美しかるとも只に搆圖を破壞するの外何の益もなければ。實景を宣しく取捨撰擇すべきは必要なること勿論にして。畫家は當然之を爲すべきものなれば。我にはかく爲す權能あるものなりとの見識なかる可らず。
 搆圖なるものは廣き原理に基く一種の規約とも云ふべし。物の色と形との配合如何によりて或は興味を感じ或は不快を催ふす其理は未だ究めざるとも之れ科學者の爲すべきことにて畫家には用なし。只だ此の如きものなることを知り原因には立入らずして見ゆる通りを承知せざる可らず。見て最も好しと感ずるものは釣合なり。鈞合好き時は見るものに滿足の感を與ふべし。此釣合を得んには種々なる方法あるべしと雖も何れも一定の條件あり。裝飾畫家には其條件あり。建築家にも亦其條件あり。詩人音樂家にも皆それぞれの條件あるべし。去れば風景畫家には如何なる條件ありやと云ふに。此面白き釣合は恰かも鉛一斤に羽毛一斤を天秤に懸けたるが如きものならん。今鉛一斤に對し同じく鉛一斤にては能く釣合うとは云へども餘りに分りきつたる事にて少しも興味なし。然るに一方の容積を減じ一方の容積を増すに於ては爰に忽ち變化を生じ。質量の相違は容積の相違を起さしむるの理を見るべし。天秤に於て重量の不平均は支點の位置を加減せば釣合を得べし。今一對の羽毛は容積大なれば之を樹木の一團に例へ。之れに對する一斤の鉛は景色の確たる強き部分と見做なさんか。然れば此二の重量の平均を得べき支點の位置は容易に求むるを得べし。此支點の位置こそ畫中の最も興味ある部分にして。之を釣合の中心とも云ふべく。此點に人物等を附加するとも决して搆圖を害することなし。
 人物を付けざる風景晝をかき上け、後ち畫の比較を見するために人物をつけるとして何れの部分に付けるを適當なりやと云へば。必ず畫面の中心即ち両端より等距離の點にあるべし。之れに反し最初より人物を付ける風景畫を作らんとならば。人物を中央にかくは面白からざれば。景色の方にて木若くは空等の釣合を一方に寄せ。人物を都合よき位置に付けて初めて畫の釣合を得る如くに搆圖を作るべし。實地に就て述べんに。明るき部分と暗らき部分と同一分量なるは宜しからず。例へば樹木。家の如き暗き部分が水。空。道路の如き明るき部分と同一の分量。面積なるを避くべし。暗らき部分が畫面を切半するが如きも不可なり。圖取りを爲すには景の大體を愼重に畫面に收むべし。此大體が正しく行かば其中の小部分は自から纒まるなり。先づかくへき景色の比例を能く考へ何處より何處までを圖中に入るべきかを研究すべし。要するに見ゆる通りを只だ模做すべきか。又は然らずして我が受けたる自然の感じを現はさんため景色を彼之加減すべきか。此如く目的を研究するなり。大木を畫くにせよ。其木を全部入るべきか或は上部は畫面外に出すべきか。是等は皆畫家の技量によるものにして。搆圖の巧拙一に此技量如何にあり。
 大體の明暗をどう配置するかを考究し又た調子をも克く考へ。空と地面との調子は釣合肝要にして。又た小さき光りの部分は濃き調子の中に在れば能く現はる若しも明るき處にありては假令色異なるも引立たず。畫は空の明るきか暗きか或は雲の有樣などにて其趣を變ずること等を考究するなり。凡て地面を先きに畫き之れに釣合ふように空をかくを便なりとす。又た畫面は四角形なれば。畫の線が此四角形の直線に對し曲線を現はすべきものなると共に。能く眞を描出し。畫の感じは深く意匠は高きことを忘るべからず。畫の曲線は畫面の四角形に對しよく引立つものなるが。此曲線は大ひに畫の趣に關係するものにして。小なる曲線は何程繊巧なりとも大なる曲線の如くに畫の品位と作風とを感ぜしむるものにあらず。ルーベンスの如きは線條細かく麗巧を極むるも作風の感は毫も入に與へずと雖も。コローに至りては筆々靈活釣合ひ調ひ一點の取捨をも容さゞるなり。
 然れども青年畫家が只だ古人の作風を眞似るは宜しからず。一青年ありて切りに畫風に苦しみ。朝霧の景に對してはコローを慕ひ。朝風の趣にはコンステーブルを思ふと云ふ。此の如きは大に誤まれるものにて。畫は凡て我が創作ならざるべからず。古人の心を以て我心と爲すはよしと雖ども其畫風までも眞似る可らずクロード。ターナー。其他の大家の作を研究し其搆圖の妙味を悟りて漸く我畫風を爲すに至るべし。凡て古人の作品を研究するは搆圖の要義を知るに甚だ有益にして又た各作家は自然を觀察する方法は異なれども作畫の大目的に至りては皆同一轍に出づることをも學ふべし。
 古人が其畫に固有の勢氣獨得の作風を發暉せし如く我も亦之を開發すること肝要なり。若し我にターナーの如き識才あらば搆圖の取捨を爲さんは容易なれども。然らざれば木一本を省き道を少し變更することも中々の困難にして。此困難あるこそ未だ搆圖の要理を能く悟らざるの至す處なるべし。
 畫の主要部分さへ正しからば。細部分に多少の誤筆あるとも目にたつべきにあらず。細部分は如何程好く出來たりとも主要部分に誤りあらば其畫は遂に美術にあらず。畫は大なる考案意匠を大なる方法を以て現はすべきものにして斯くて。毫も學理と實際と相矛盾せざるなり。例へば松の木をかくにせよ。之れが枝振を好からしめ或は其位置を變更したりとて松の木の特性を失ふべき理あらんや。木は恰かも人間の如く。貴きもあれば賤しきもあり。之れが撰擇は畫家の隨意にして。あの木は面白からざる木なれとも景色に有る故畫くと云ふは。畫家に之を變更する技能なきか。又は其勞を惜しむより來るものにして。何れにせよ作畫を害するや必せり。
 自然に對しては。眼を開き心に其美を湛へ寛く裕かに綜合的に觀察することを心がけざる可からず。かく爲せば。自然の崇高にして餘裕ある有樣は未だ描出すること能はずとも。草原や古屋の美のみを以て大風景畫を作るに足れりと思ふ人よりも必ずや得る處多かるべし。

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