藝術小言(承前)
比奈地畔川ヒナチハンセン 作者一覧へ
畔川生
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日
■高い頭がなくては高い貴いものは出來ないことも言ふた、摸倣と反覆の價値のないことも言ふた個人の趣味の發揮も絶叫した、要するに藝術は個人の技能、理想、趣味を絶對に發揮したものである。今度は流行といふことに付いて一言しやうと思ふ。
■ある論者がある、時代に應じたる作品を作り得れば藝術の本義は貫徹してゐるといふのである、つまり一時代を代表するやうなものが出來ればそれでよいといふのである、此論には服從せぬではないけれども、全然賛同仕兼ねる點がある。
■なぜなれば、それは標準と程度問題である故である、比較上の價値を論ずる日になると、此議論は消滅してしもふ、故にそれには比較的儂値ある所の時代的作品と云ひ加へてなくてはならぬ。
■此時代の産に流行なるものがある。或は流行は趣味の發達である美的性情の發展であるといふ人があるかもしれないが、それだけ聞けば欣ばしいことである、然しながら、流行そのものが必しずも美術的完美なるものといふことは出來ないのみならず。一般階級の人に欣ばれるやうなものは何れかと云ふと平凡幼稚、若くは矛盾と滑稽に近いものである。
■それは大な時代の推移人爲的國民の性情などからいろいろな流行を來すことがあるは勿論だけれども單に流行そのものゝ價値と美術とを論ずるとは問題は別になる。
■一口に云ふと流行は摸倣である。幼稚な嗜好から出る雷同附和である、もつと極端に云ふと虚榮心に伴ふ裝飾的人種の通弊であるといふてもよい、故に時代に眩惑した美術家の作品は流行に投するといふことに重をおく、故に此の高い藝術の上から論ずるとつまらぬものになることが多い。
■時代的作品といふものは自然的に出來るものである、時代時代といふことに教はつて作つたものは、要するにその潮流に巻きこまれたるものである、潮流に巻きこまれたといふことは已に間違てゐる、無論大きな自然からみると時代時代場所場所によつて流行なるものが形作られてゐるけれども、それは自然から出た淘汰上の流行である、明治時代の流行も明治時代を代表する所の藝術的作品の流行でなくてはならない。
■三越が元禄摸樣を流行らせる。白木屋が芦手摸樣を流行らせる、虚飾に滿ち滿ちた都人士がそれに附和雷同する、附和雷同するけれども半年も經ないうちに火を消した樣に廢れてしもふ、これは營利を主とした一時的流行で、反復と摸倣とを以て人を眩惑しやうとするからである、明治の人を元禄にしやう、二十世紀の人を直ちに平安朝の人に擬さうとしてもそれは無理である、長く續こう筈がない、いくら美術は繰込すといふてもしつくりと時代に箝つたものでなくてはならない、所謂論者の時代を代表し得たものじやない。こういふ摸倣と反復とを以て繰返さるゝうちは、まだ明治美術は過渡時代のうちに彷徨してゐるといはなければならない。
■近く徳川時代をみても、小堀、光悦、光琳、乾山などゝいふ非凡な藝術意匠家があつた爲めに立派な時代を代表するやうなものが作れて、後世へ流行の價値ある摸範を示した。
■これを要するに、高い頭高い趣味高い技術から出た流行でなくてはならないことがわかる、この高い頭趣味、技術はそれ等の要素を備へてゐる處の藝術家をまたなくてはならない、言を換へて云へば、流行は高い藝術家が作らなくてはならないのである。
■どうせ需用者の側は趣味も淺ければ鑑賞も低い、是等の人の嗜好誘導は要するに專問家が示さなくてはならぬ、日本の樣な好尚の趣味を解し得る國民では此發達は目覺しいものであらう、我々の側からいふと明治はもう戰争の時代じやない、趣味の發達が社會文化の發達と併行し、高尚なる性情の素養はどうしても美的趣味のそれにまたなくてはならないと思ふ。高い人、人間らしい人間は、きつと高尚な趣味を味はふ人であると斷言する。
■とにかく泰西は勿論日本も發達しつゝある、けれどもそれとこれとは全然別個のものである、從つてその嗜好趣味も別個のものでなくてはならぬ、ましてや汪溢たるものでなくてはならぬ、目下の日本は泰西趣味の輸入で混亂してゐる。
■西洋に心醉してゐる作家は作家でよろしい、日本人が西洋人の樣な仕事をしてゐると思へばそれ迄である、材料や手段やはどんなことをしてもかまわない、場合によれば油繪具の外は用ひてならないといふ法律が出てもかまはない、忠實な美術家が生れて、日本趣味の渾然たる趣味を以て時代を飾る處のものを作つてもらいたい、ピールと日本酒とコーヒーとを交ぜた樣な流行はいかにもいやである。
■單に流行といふことに付てのみ言ふのではない、とてもこの混亂と摸倣の瀬戸際を脱け出た後でなくては、大きな藝術は生れないかもしれない。
藝術小言も理窟に傾いたことばかり續いた故一時これで完結とする、稿を改めて讀者にまみえる