紀行の一節

比奈地畔川ヒナチハンセン 作者一覧へ

畔川生
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日

 雲の上の山道となつた、見遙るかす連山は實に波濤の如しである、その山の中腹に四五の人家がみえるどうしてあんな奥の奥の高い高い雲の中に家を搆へて棲で居なくてはならぬのであらう、草山だ、大な風が吹て草が一面になびくのがみえる、重い灰色の雲が切んとしては次く、鳥一匹もなかぬ處まで來た、もう人寰を脱して居る域に違いない、しんみりとした氣が魘ふて頭が堅くなる樣に覺へる、四顧消乎として自分一人が立て居る、自分の氣が小いのか自然の力が強いのか急にさびしくなつて來たので疲れた足を人里ある方へと急がす。
 釣橋のゆれて渡るや岸の藤畔川生
(紀行の一節)

この記事をPDFで見る