靜物寫生の話[五]

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日

△鉛筆畫は線を正しく畫くに適してゐる。繪畫の初歩たる輪廓を正しく畫くには他の幾多の墨繪よりも鉛筆書が一番都合がよい。
△初學の人は、前に述べた方法によつて先づ鉛筆を以て物の輪廓を正確に寫すことを稽古されたい、物の形が極めて正確に紙面に現はれると陰影を畫かずとも、圓味や遠近は見えるものである。
△明暗の調子を正しく示すのは、木炭畫や一色畫には及ばぬが、鉛筆畫でもある程度迄は其濃淡を現はすことが出來るから、輪廓が思ふ儘に間違なく寫すことが出來たら今度は陰影を畫く稽古をするのである。
△初めのうちは先づ輪廓をとつたら、一通り濃い鉛筆で實線を引き夫から被寫物をよく見て一番明るい處と一番暗い處とを見出し、それを明暗の極度として他の中間色はいつもそれと比較して、それよりも明るくならぬやう、またそれよりも暗くならぬやうに注意して畫いてゆくのである、そして筆の着け初めは、淡い處より漸次暗い處に及ぼし、最後に極暗い點を描くのである。
△併し集合したる物などを寫す場合にはまづ中央の視點とすべきものから畫き始めることもある、如何なる場合には如何なる手段を執れと一々示すことも出來ぬから、それ等は銘々工風して、一番都合のよい方法をとつたらよい。
△濃淡の區別は、殆ど白色に輝いてゐる尖部の高照と物の底なとの一番暗黒な點との中間は幾百千の段階に別れてゐるが、鉛筆畫でそれを現はすことは容易でない、それ故宜しく高照と最暗黒との問を五つ位ひに分け、比較に注意して、あまり細かく見過ぎずに、其趣きを描いてゆくのである。
△高照と最暗黒との部分は多くの場合に極僅少なものであつて中間色が其大部分を占めて居るのである。明るい處と暗い處ばかりでは、平板になつて圓味も軟か味も見えぬ、それ故中間色が最も大切であるから一層注意して深き研究をなさねばならぬ。
△物と物との界は、實は色彩の異なるのみで線はない、墨繪でも木炭や一色畫なら線なしに物の境界を明らかにすることが出來るが、鉛筆畫では不充分である。それ故此場合に線を以て物の區別を示すことは妨ない。
△但し、鉛筆畫でも其技に熟するときは、線なしで描くことも出來るが、鉛筆畫專門家となるなら兎に角さもなくば他に手段もあること故、それ迄深く研究するには及ぶまい。
△鉛筆畫の蔭のつけ方、即ち運筆の方法は種々ある、直線曲線または沒線等で、直線のうちにも斜線を用ふる場合もある、これ等の線の應用は寫すべき物によつて異ならねばならぬ。
△木の箱のやうなものは、直線で木の杢目に倣つたらよい。桐の火鉢のやうなものは、縱の直線で畫くがよい。縱横の目のないものは斜線がよい、圓いものは弧線で畫き、滑らかなものは沒線で、粗なものは、斜線や縱横の線を混交して用ゐたらよい、要は其物に巧に應用して、其物質が明らかに現はれるやうに描けばよいので、何は何の線に限るといふやうに嚴重の規則のある譯ではない。
△線を以て蔭を畫く場合に、其線と線との間があまり離れては蔭に見えぬ、少なくも線の太さよりも、廣く白線を殘さぬやうにありたい。又其線は正しく眞直に畫く時もあり、幾分か線に濃淡や廣狡をつけて畫く時もある。要するに、一本の線でも面白味といふことを忘れてはいけぬ、無意味にやつてはいけぬ。

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