日本の初夏[中]

鵜澤四丁ウザワシテイ(1869-1944) 作者一覧へ

鵜澤四丁譯
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日

 やがて松葉が躑躅のある可い處を見つけて來た、それに可い室もあるといふのであつた。それはテンネンジといふ少さな佛教の寺で、曾ては非常に盛つたものだが、今は殆どさびれてしまつた。場所は稻田の側の小丘で、琵琶湖の近くで、濕地であるが、蚊の群集は甚しいらしい。ジは佛教の殿堂といふ意で、テンネンは自然の産出といふ意である。名そのものが、平和、閑寂を現はして居る。躑躅の紅い花を居ながらにして見られるのは甚だ嬉しかつた。
 花崗石の石標を見るとこゝに五百羅漢がある。それは大きな堂の周圍に金箔や漆塗の偶像が立並んで居る。その側に祭壇のある本堂がある。こゝは住職の老僧が朝またきにおつとめをする處であるのだ。己れの室は本堂に續いた處で、寺の家族の住んで居る處からは大分離れて居る、二方は明るい庭に面して居る。わが室の一角は池の中に突出で居て、庭園へは右左に石の踏段があつて、小路へ通して居る。庭の先の方は急高くなつて松が植つてある。此小丘の麓には岩石が突出して居つて、根元には躑躅が一面に咲いて居る、その石間には佛陀とその十六弟子の石像がある。いづれも蘚苔蒸して、岩石と同樣になつて、遠くから見れば、何れをそれと見分けが附かない位である。松の木下や藪蔭を縫ふた石の小坂を上りつめると、松の木の間から廣濶な沃野を見下ろす。西方には鏡のやうな琵琶湖や小島や。遠山が見える。われは屡この丘に往來した。或時は月明かな夜に上つた。紅の躑躅のかすかに見える。それも忍冬のやうな匂で、それと知らるゝのであつた、四面寂として、たゞ稻田の蛙の啼音のみ徒に聞ゆるばかり。
 日中杜の中は蝉の聲で喧騒を極めて居るが、その中に新しい花を發見したり、好風景地を得たのは嬉しかつた。竹林の前の小路は白い花(deulizia)で埋まり、その中には薄紅の百合が咲いて居る、われのこれまで見た内ではこれが最愛らしい花であつた。テンネン寺の坊さんが、われの作品を一枚所望した、それは寺の什物として掛けて置いて、好事の外國人を驚かしたいといふのであつた。寺の家族は父がソーキン母がオシゲサン、子はタカキといふて彦根の警察へ勤めて居る。われを皆友人として遇して、機嫌をとつてくれた。タカキは近世の教育を受けたもので、(彦根の學校では英語を教える、往々小供が町中てABCと叫ぶを聞く。)しかし、エース(然り)位しが出來ないので、話は、エースから直に日本語になつてしまう。

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