小笠原島寫生紀行[三] 山登り

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

丸山晩霞
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日

 一行に例の山登りを勸めたが應じなかつた。麗かな日の朝、團飯を携へ、輕裝して獨り宿を出た。向ふ處は旭山の頂巓。清瀬の濱より大村山の背に登る、右を望めば釣濱に展けて、深碧の海峽を隔てゝ兄島の見返り山は前に高く聳立して居る。甘蔗畑の間を下りて釣濱に出づると、樹林の間に一農家むりて、海岸には丈高き濱萬年青が叢生して居る。白砂の濱は一小區で、左右は斷崖になつて居る、右方斷崖の附近には、劍を倒植したる如き岩、又は赤牛の寢たる如き岩が散在し激浪これに觸れて白を呈し、深碧に紫を混じた如き海峽の前は兄島にて、この海峽は潮流烈しく、船人が困難を極むるとの事。兄島は凡て痩削して赤土露はれ、黝骨露はれ、その間僅かに矮樹を點綴して居る。後日こゝに於て夕陽の趣きを寫生した。黝岩赤土に夕陽の映じて深紫、暗碧の海に、赤黄の波を投じた趣きは、神秘的崇麗であつた。
 

父島南崎ジヨン海岸針の山丸山晩霞筆

 釣濱より大村山の斷壁を攀づると奇しき花卉多く、得知らぬ鳥の飛び立つもある。頂に近き一帶に天の梅の白花が咲て居る。こゝより嶮阪を下り、森林に入り、奥村川の溪谷に出で、更にこゝの森林を攀ぢて、旭山の北麓旭平に通ずる路に出でた、こゝより四五丁程行くと、道は右折して細逕で旭山はそこから登るのである。草深き細逕を迂曲しつゝ登り行くと、異草茂り異花開らき、林の中では鶯が鳴て居る。丈なす草を分けつゝ行くと。そこは拓けたる田園ありて、果樹蔬菜等栽培してある。遙かの澤には人家が見ゆる、鷄の聲も聞こゆる。畑の間を更に登ると、頂巓は目睫にせまつて居る。僅か千尺の山である、があまりに早く巓に達し過ぎた感が起つた。畑の間より矮樹の間をぬけて頂に達した。展望絶佳、二見灣は種々の色彩を呈して前に展け、頗る奇觀である。沿岸にありてはこの奇觀に接することは出來ないが、千尺の高さより平視すると、海中珊瑚礁が起臥して居る状態が委しく窺はるゝ、灣口より深き海路の這入りて、それが處々に別れ、大なるものは清瀬の前に至りて、菊花の如くに開いて居る、其の形例へば木の幹の如く、枝はその幹より別れ、幹の梢となりて枝を四方に張つたのは清瀬の前面で、大船はその幹筋を航するのである、幹より枝ともいふ處は、海深く二十一尋乃至二十六尋もあるとの事、この深淵の色は菊花の如く、細裂した外輪は、青緑より青となり、青は暗青暗紫時に深緑なるものもある、淺きものは澄徹せる水底の珊瑚礁を現はして、淡紅、淡黄、青、黄、緑の美彩を呈し、美しき摸樣を染出した一大絹布を展げたかの樣である。奥村、清瀬の渡より大村の埠頭、さては船見三ヶ日の二山を經て、外海の水平線上に淡く浮み出でしは、チーター島即ち聟島列島である。眼を轉ずれば一大活パノラマにて、全島の諸岳と、阿母ゲ島とその屬島も見える。美しき海。麗はしき島。壯觀といふよりは美觀であつた。されど自分の今踞して居る山巓の岩は、前面直下千尺の斷崖で、美觀に心を奪はれて居つた余は實にこの頂に踞して居つたのである足もとの危險に注意して見ると、寸時でも居らるゝものでない、淺間の活火山の火口に臨むよりは危險である、如何となればこゝの岩石は軟質にて、余が美觀に心を奪はれて居るうちに、ぞろぞろと落下したのである。木の枝草の根を便りて這ふ樣にしてこゝを去つた。余が道樂の一とつとして、今迄登つた山巓よりは、登山の記念物として、岩を碎くか又は散亂して居る石とか草とかを持歸るので、こゝにても小岩片と草とを採集した。千尺の山でも、この島ではプレシデントだ、自分もこゝより下界を瞰下したときの感は、慥にプレシデントであつた。千尺位の山であるから、氣候等にあまり變化が無いため、植物の分布等下界と同じで、花も咲て居れば木も崩芽して居る、厭かぬ眺めではあるが、元來た矮樹林を經て畑に出でた、この邊の畑は何も栽培してない、畦畔に青緑なる八丈秣があるのみで、一帶は赤土を現はして居る。眞晝に近い大陽は赫々たる光を直射して、乾ける畑の反照をうけて中々に暑い。畑の向ふにまだ一峯かある、何といふ山であるか、今日の目的は山登りだ、早速登る事に决し、雜草又は矮樹間を分けて行くと、この山に登るらしい細逕がある。この山の未だ頂に達せざるに、今余の登つた山は瞰下する樣に低くなつた、漸く頂巓に登ると、人一人踞せる程の處に標杭が建つて居つた、文字を見ると旭山と明記してある、今登つたのは旭山でなかつたか、不案内とは云へ飛だ失敗をした、今思ふと、そこは旭山の肩であつたことに氣が附いた、獨苦笑をもらし、こゝに又展望を恣にした。二見灣から吹き上げる風は好い心地で、流るゝ汗を乾かした。展望の趣きは、肩で見たのとあまり變りは無かつた。旭山の裏面に又一峰の峙てるものがある、乳房山との事で、それに登る可くこゝを去つた。野椰子、山ツゲ等の間を下りて澤に出づると、そこは屏風谷の頂である。時は丁度正午であるから、樹陰の軟草に踞し、携ふ處の團飯を喫した、あたりに水が無いから、渇ける喉を灘はす事が出來なかつた。山は險崖で登るは困難である、困難より危險である。危險を攀ぢて見たいのは余が癖である、普通より變つた癖であるが、これが面白いのである。先づ登り口を驗するが、斷壁であるから手を懸ける處が無い、漸く一方を見ると、水の流れたらしい處があって、そこに林投樹が氣根を長く垂れて居つた。林投樹には刺棘があるから素手で握る事は出來ない、ハンカチーフを手に巻き、林投樹の氣根をたよりて先づ登り初めた。それより木の根岩角をたよりて、一段二段と攀ぢ登り、終に山脊に出でた。こゝを傳ふて頂上に達した、展眺は前者に劣りたるも、山上の形態は岩石多く、その間矮樹の點綴するあり、丈短かき草花等咲き亂れて、鬼工を施した庭園の如くであつた。旭平全體の森林がこゝより見える、境浦に近き邊りに新開拓地と新らしい小舍もある、旭平の森林をぬけて、境浦方面を經て歸らんと山を下つた。そこに細逕があつて森林の中に通じて居る。

林威三筆

 この邊一帶は野椰子殊に多く、傘状を爲して立つて居る。森林の中は蓊欝として晝も蝙蝠が鳴て居る、カミソリグサ、サルダコ叢生して道を遮り、こゝを流るゝ小流には巨大なる杪羅がある、緑樹清蔭の間、小流に添ふて稍下ると、そこが新開拓場であつた。杪羅の澤より水引きたる筧は、新建ちの小舍に引き入れてある、小舍は澤より上りたる處にあつて、半ば翠蔭に掩はれて居る。一方の低き處に山羊を入れた小舍がある、一帶の新拓地は多く香蕉を栽培をしてある。こゝは平地の稍低き處であるから、四望皆大森林を經て、山の峯が幾つも見える。鶯も鳴く、ヒヨドリも鳴く、幽邃境である若き農夫は蔬菜園を耕して居る、二人の兒は羊小舍の前に遊んで居る。言葉をかけると、夫婦のものは親切に余を招待してくれた。小舍ながらも掃き清めて新しい空氣は流通して居る。座蒲團を與へらるゝ、茶をすゝめらるゝ、バナヽを供される、待遇ぶりに深情がこもつて居る。これだけの開拓地と、これだけの小舍だにあれば一家四人がこの桃源にありて、大平の夢を見て居らるゝかと思ふと、人間といふ動物の處世を考へねばならぬ、吾等の生涯は、意義ある如くしかも意義は認めない、名奔利走の巷が人間の生涯する處であるか、暫く忘れて居つた人生問題を又茲に持ち出さなくてはならぬ、考ひは三年前の田園生活に及んだ、余が田園は、田園には相連無いが、隣もあれば町もある、余が田園と都とは只大小の差があるのみで、こゝの田園とは趣きが違つて居る、余も内地に歸るのは止めて、このあたりを開拓し、蔬菜園の主となつて桃源の生涯を恣にせんか。とまで考ひこむと、杪羅の澤のあたりより、馬鹿め馬鹿めと、何鳥か鳴き出した。暫く夢の人となつたが、自分に立歸ると夕日は山に近いて居る。境浦行きの道を尋ねてこゝを辭すと、主は五六丁も余を案内して境浦の見える處で別れた。この島に栖める人々は皆一家族の如く、何れも親切である。甘蔗畑の急阪を下るとそこが境浦である、こゝに便船を得て宿に歸つた。

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