殘雪

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日

△五月五日夜、上野十時發の汽車にて信濃柏原に向ふ、信越國境嶺の殘雪を寫さんとてなり。
△六日、汽車碓氷を過くるころ東の方白みそめぬ、木々の新しき緑のうちに淡紫の山躑躅を見る、輕井澤春おそく櫻はつかに蕾を破れるのみ、山に班雪あり。地は霜を結べり。
△上田長野の邊やゝ初夏の感あり、桃季色褪せて八重櫻時を得顔なり。
△朝八時柏原に着く、一里にして野尻湖に達し湖畔野尻館に投ず、館といふもたゞ二室を有するのみ。湖岸樹木乏しく景佳ならされど、妙高、黒姫、飯綱の高峰湖面を壓して聳え風光雄大なり。
△七日、關川、田口を過き越後關山、岡本に泊る。田口邊、春酣にして、梅、櫻、桃、李、白蓮、菜花、水仙、蒲英公、すみれ等一時に開きて美はし、空には霞滿ちくて山影朧ろなり。
△八日、關山より二里、妙高山腹關の湯ヘゆく、林を過ぎ荒原を辿る。一里にして雪をふむ、厚さ尺余、山蔭はなほ三四尺の深さあり。浴舍富山屋に宿る待遇懇切なり。
△九日、關の湯を去り、途々寫生して、關山より汽車にて柏原に歸りふじのやに投ず。
△十日、朝近傍の小景を寫す、雨ふり來りしをもて正午の汽車に投し深更歸京す。
△此行稀なる晴れ續きにて、スケッチを得ること十八枚、山の雪やゝ多きに過ぎしも、里は百花の爛漫たるありて、はからずも春の繪の幾枚かを得しを喜ぶ。

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