トモエ會展覽會
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日
トモエ會は四月中旬より一ケ月間上野公園竹の臺陳列館に於て開會せられた油繪、水彩畫展覽會と札を出してゐるが、水彩畫は百五十點に近く油繪は其半にも滿たぬやうである。陳列の繪畫には番號も畫題も有つたり無かつたりであるから、細評はお預りとして、たゞその出品者の作全體について一言所感を述べて見やう。
五姓田芳柳氏はトモエ會の代表者で、其畫風もまたトモエ會を代表してゐる。數ある繪のうちでは駒ヶ嶽、蝉娥の溪流、店頭などは面白い作と拜見した。晩春の如きは氏にしては眞面目な作であるが、其多くは畫きなぐりの氣味で、其才筆には敬服するが其態度には慊焉たらざるを得ぬ。
石川欽一郎氏の作は滿洲及臺灣の道路山水多く、孰れも面白き出來で、場中獨り群を抜いてゐる、曾ては氏の作に輕妙といふ評を與へられてゐたが、今は繪に重味が増して來た、隨て色彩なども豐富になつて處々に言ふべからざる妙を覺える、捏ね上げたり塗りつけたる水彩畫の多い中に、畫いた水彩畫は氏の作によつて見られる、此上の望みは樹木の性質を今少し描き現はして貰ひたい。
鵜澤四丁氏も多數の出品がある、氏は純然たるアマチユーアでありながら、專門家の中に其作を公にして敢て甚しき遜色なきは大に意を強ふするに足る、惜むらくは出品の際選別の勞を省かれしためか玉石混交にて見る人をして其實力の那邊にあるかを疑はしむ。田淵保氏も又少なからぬ作を公にされた、氏は三宅氏と同時代に水彩畫に熱中せられてゐた人であるが、境遇のためとは申せ大なる發展を爲さゞりしは遣憾のことである、今氏の諸作を見るに、多年の熟練のためさすがに面白き筆の運びを見出すのであるが、色彩が何分自然に遠ざかつてゐて、一種田淵式の色など出來てゐるやうである。氏やなほ春秋に富む、希くは一層の憤發あらんことを。
織田一麿氏の諸作のうち、冬の晝はよい出來である。花の寫生が一枚あるが、此前此會で見たやうな感は起らなかつた、今後氏に希望する處は物質の研究を今少しく深くされたい事である。
織田東禹氏も數點の出品がある。氏の畫は一種の風をなしてゐる、堅實な處もある。
大森柳江氏の作には注意すべきものが二三あつた、小金井はよい、富士の如きは遠近が見えぬ、デツサンが不充分である。石原白道氏の水彩畫には、生々しい色が多く使用されてあつて稍不快の感がした。
金子政次郎氏の水彩畫が一點ある、氏は整版家として有名な人であるが、其水彩畫も决して凡手ではない、殊に色彩の落着いてゐるのには感服せざるを得ない。
其他伊藤函嶺、玉置金司、尾瀬田良恭、中村政敏、渡部錦吾等諸氏の作がある、また圖案として齋藤八十八氏の十二ケ月が出てゐるが、斬新の思ひつきも多く、四月、七月、十二月の如きは面白い出來であつた。
そこでこの展覽會を通覽した時の感じを遠慮なく言ふたなら、太平洋書會や白馬會のやうな、日頃の研究の結果を公にして世に示すといふ、會員の成績を主とした會ともいへぬし、又博覽會や文部省の展覽會のやうに、銘々力一パイの技倆を揮つたものを出した會とも違ふ。紫の藤の花や、眞紅な躑躅や、爛慢たる櫻の花の多くある處を見ると、失禮ながら甚だ幼稚なやうに思はれる、そして出品の大部分は遊び半分の仕事のやうに見えて眞面目の空氣が欠けてゐる、吾人はトモエ會の前途のため會員諸君の奮勵を請はざるを得ぬ。