ホイツスラーについて
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日
二三年前に亡くなつた畫家ホイツスラーは元と米國の産であるが、佛蘭西で研究を積むでから後はズット倫敦に居て名を舉げた天才である、既に大家になつてしまつてからの話しであるが、なんでも或る人から金を借りた事がある、所が段々期限も來たが一向に返濟しない、貸主は大分辛棒して待つて居るけれど何時まで經つても返して來ぬので、とうとう我慢が仕切れなくなり、若しこの手紙の着き次第早速送金がないならば巳むを得ず法律の手を煩はさなければならぬと最後の通牒を發したのであつた。
流石のホイツスラーも茲に至つて俄に騒ぎ出し、近所の友人に相談に及んだ、聞いて見れば其の借りた高は十八磅だと云ふ、尚ほ聞いて見れば之れまで銀行に預けて置いた金が幾何かある筈だと云ふので、友人は之れから店へ出かけに一寸其の銀行に立ち寄り、其の高を驗べて見て不足な所を一時間に合せてやる事にして行つて見ると何ぞ計らん預けた金は既に無量六千磅を超へて居るのであつた。(東西南北)