藤園氏木曾日記の一節


『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日

 翌日は默語、素空は、きのふの日野春、菲崎のけしきわすれがたくて、引かへして寫生にゆく、おのれは舞鶴城趾を訪ひて、「舞鶴の城より見れば大空をかけるにばかりの富士の神山」これより武田信玄の墓に詣づ、
 雲きりをおこしし龍のかけうせてみはか靜に松風のふく
 夕くれに宿にかへれば二人もほどなくかへり來て、景色こそさもおほえしか、何のとり食むものもなくて、暑にさへ照らされたれば、殆ど命も危かりき、畫かくことばかり人には樂々見えて苦しきはなしと、こぼし取出す數枚の實寫汗のしたゝりも見ゆるやうなり(藤園氏木曾日記の一節)

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