寄書 四月の月次會

木炭の屑
『みづゑ』第三十八
明治41年6月3日

 僕の御役目のやうな事になつたから、例によつて日本水彩畫會研究所四月例會の景况を御報致さう。會は四月の二十六日に開かれた、午前のうちは大下先生のスケツチに就ての講話があつた、僕は半分頃から聽講したのだから爰に御紹介することは出來ぬ、質問なども出て中々有益と思つた。是れから毎月第四日曜日には水彩畫と透視畫との講話があるそうだ。
 午後一時、階上の陳列室は開かれた。上つて見て驚いた、大小二百五十餘點の水彩畫がズラリと並んで居る、折からとて春の寫生が多いから、桃に櫻に菜に麥に、紅紫黄緑色さまざま目も綾にこれ見よとばかりに光彩を放つてゐる。どれも御自慢の作で、どれも亦苦心の作であることは言ふ迄もない今月は丸山先生の小笠原島の寫生も澤山拜見することが出來た、こんな繪を見ると僕も出掛けて徃きたいな。この間の大磯寫生行の諸君の作も出てゐる、御手近の江戸川、ちと遠い向島、さては上野、やゝ遠方の小金井の花も一堂に集まつてゐる。程なく丸山大下両先生の批評が始まる。後ろに起立してそれを聽いてゐる御仲間は約五十人、畫室のことゝて風通しが惡いから中々蒸暑い、二時間ばかりで批評が濟んて、夫から出品者一人より一枚宛傑れた作を選み出して、夫れを出品者一同に互選させた、其結果は赤城君が一等で、相田君が二等、鈴木君が三等で、一等は寫生用畫架、二三等はスケツチブツクの御褒美が出るのだそうな、僕は今に屹度取つて見せる。やがて着席、幹事の挨拶があつた、月次會の會費の殘りが十圓あまりある、秋迄には二十圓以上になるから、此秋は銘々僅少な會費で三四泊の寫生旅行をするのだといふ、待遠しい話だ。丸山先生は小笠原島の概况を話された、松山君は小笠原島の山羊の啼聲を巧に眞似て大喝釆であつた、お茶にお菓子、シヤンピンサイダーに鹽煎餅、中々御馳走が豐富だ。ムシヤムシヤガブガブ樂しき一日はかくして終つた。失敬!

この記事をPDFで見る