圖案法概要
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比奈地畔川
『みづゑ』第三十九
明治41年7月3日
圖按のことはなかなか片々たる筆紙のよく盡す處でない、今は唯初學者の爲めに圖按の梗概を略説して其一斑を示すに止まる、初め先づ圖按の理論を略述し、漸次圖按法の實習に及ぶ。
尚ほくはしくは別に一書編著の意あり、他日成るの日を埃て。
一 緒言
遠い年代を遡つた昔‥‥‥原始時代‥‥‥穴居時代‥‥‥でも一種の美的趣味といふものは形體として表はれ感想として述べられ、所謂藝術の萠芽は明かに認め得ることが出來る。形體としても模樣としても相應に味ふべきものが遺つてゐる。無論繪畫と云ひ美術と云ひて一の專門の技術として成立たなかつた時でも、人類の高雅幽麗なる趣味は、自然的に人類の好むところに向つて、形となり模樣となり繪畫となり美術となり、その他の藝術となつたのである。
美術は實に如何なる時代如何なる邦國にありてもその時代の代表物である。其社會の人種の智識技能の眞情を縷注した一産物に外ならぬ、故に其國民の發揮した種々の方面に互りて其價値の高下深淺を標示したものといふことが出來る。故に其時代の遺品といふものを味ふ點に於て最も趣味ある且つ貴いものである。
彼のコロボツクル時代蒙昧の人種でも、其遺品を見ると。不完全ながらも紋樣を彫刻せし武器土器。乃至土窟内壁等種々なる裝飾が施してある、是等が次第に人文の發達につれ、穴居木食より火食を覺え。草汁を以て衣を點し、或は機織のことを考へ、木材を以て家を作り調度を製し、又裝飾的模樣を施す樣になつた。元來日本人種は武勇旱宕の性質に富んで居るけれども。亦美的趣味といふことに付ては深い趣味を以てゐる國民である故に、是等の進歩發達も非常なものであつた。殊に三韓支那との交通開けてよりは。是等の文華を輸入し、果ては東洋のレ子ザンスと稱せらるゝ奈良朝の換發となり、平安朝の華美となりて、東洋美術國の稱ある國たらしめた。以後幾多の變遷はあつたけれども、文物人智の發達は駿々として進み、遂に徳川時代の一盛時には社會の事物其極に達し、一般の豪奢は衣食住を始め百般の器物に至るまで頗る華麗善美を極め、尚武の氣風の廢傾したのと反比例の顯象を示したのは、一面よりみれば悲しむべき處だけれども、亦他面よりみるときは特記すべき一盛時として誇らなくてはならぬ時代である。而して維新の事あるや、大勢一變尚武の氣盛に、一般國民の美術心は殺氣の爲めに蔽い去られたけれども。やがて明治盛代の文明は殆んど絶無長足の發達をなし、歐米文物の輸入は殆ど驚嘆に價へする迄我が美術に大打撃を與へた、明治美術は精巧華麗絢網として耳目を眩する斗であるけれども、今は模做と混亂との中にある、絶大の藝術家を出し此照代を飾るに足る藝術の作品を待つべき時は來た。
元來世界の美術を通觀すると、恰も印度を中心とした美術は東西に走り、一は希臘羅馬より西歐に傳はり、一は支那朝鮮より日本に至る、遂に東西二大派系を形作るに至つた。即ち北部印度に胚胎した希臘印度ピサンチン式の美術は、佛教の東漸と共に支那に入り韓國に入り、是等の風に加味せられて多少の系統を帶びて日本に入り來つた、無論奈良朝以後の美術には此系統を加味してゐぬことはないけれども、純日本趣味は到底それを模倣襲用することは許さず、日本特種の美術は一個日本趣味を形作るに至つた、之は自然より來る處の陶汰とも個人趣味の發揮とも云ふべきであらう。要するに日本人の趣味は瀟洒淡泊なるものである、西歐の繁雜華飾なるものとは正反對の顯象である、これが所謂東西其揆を異にする日本唯一の特美の點である。支那朝鮮と一葦水を隔てたる日本は、獨り此別個の趣味を存して、西歐のそれと對立すべきよきコントラストをなしてゐる。
然るに明治の亂潮時代ば此大特徴の發揮に至らず、中庸か平凡か折哀か模倣か、甚だしは剽竊と臨寫によつて一時を糊塗し★縫する拙技を取る樣になつた、明治美術はまだ過渡時代である一國民の特徴主義技能を進暢した美術を欲するものである、必ずその時が來なくてはならぬ。
工藝品の輸出に於てみても分かる、たゞ西歐人の甘心を買はんことにのみ務めて、日本の特技を示してそれを發達せしむることを考へないのである、殊に應用美術に携はるものとしては、世界の顧客を立脚地として立つ以上は是等に付ても余程の考を持たなくてはなるまい。
二圖按の意義
圖按は考按とも意匠とも稱し、昔は紋樣又は文樣とも云ふた。英語のデザインといふ義に當るさうだ。單に模樣といふのはオーナメントといふ字が當て箝まる。
廣く圖按の意義を云ふと、有形にも無形にもなくてはならぬ。圖按を單に工藝品の下繪とのみ云ふのは狹義の解釋である、極端に云ふと天然以外のもの、即人工によつて成りたるものは皆悉く人種の圖按的智識によつて作られるものであるといふてよい、織物磁陶器携帶品等は勿論、大は建築物でも何でも、其地の色彩も模樣も變化もないものであつたならば此程殺風景なつまらぬものはないであらう、單に沒趣味なもののみならず、非常の不便と且つ不廉なものとなり、品位も實用も價値もない、工藝品としては三文の價値もないものになつてしもうであらう、圖接の必要は解くまでもない。
圖按的の嗜好趣味のない人は殆んどないと云つてよい、若しない人があつたとしたならば、それば實に下劣な此程獸的なものはないと云ふてよい。高尚温雅なる人種の嗜好趣味に適應するには、圖按は人爲によつて實現さるべき萬物の理想工藝品の一大生命と云はなくてはならぬ。
美術とか應用美術とかいふものを科學的に研究するのでなく、今工藝品に應用すべき圖按に付て其意義から定義を下すと、「圖按は衣食住に關する總ての物品を製作する工藝品に適應するやう模樣形状色彩を考按して趣味ある着想を表示したもの」であるといふてよい、即圖按は製品ではない、製品とならざる前の各種工藝品の製作上に於て必要なる下圖である。
之を一口に應用美術と云ひ、是等によつて成されたるものを應用美術品といふ。
その圖按のうちにも多種類があるし、性質も多少異なりたる分類とすることが出來るけれども、要するに