水繪の發達

K生譯
『みづゑ』第三十九
明治41年7月3日

 水繪は英國以外の國に優秀なるものを見る事が出來ぬといふのは間違ひで、素より現今の水繪とは同じからねど、デユーレルやレンブラントの如きは優れたるドローイングを遺し、またオスタードの如きも完全なる作品を遺したり。
 英國の水繪の發達は、これ等の影響のほか十八世紀の頃流行せる風土記などに圖畫の必要を感じ、最初は空は藍、樹木は緑といふ風に單純なる暗示を與ふる位ひの色彩となり、漸次發達して遂にターナーの天才を生むまでに及びたるなり。
 マーローは十八世紀の四十八年に生れ、マルトンは是に八年を後れて世に出で、當時高名なりしスコツトに學べり。
 ホイートレー(一七四一―八〇一)は其思想稍感情的なりしもよく輕快なる筆端に其平靜を表はし得たるは彼にとつて特筆すべきことなり。(されどコンズン(一七五二―一七九九)に至つては實に峻嚴なる詩人とも云ふべきか。常にクラシツク的の伊太利を畫きて莊重を極めたり。ターナーは(一七七五―一八五一)は人も知る空前の大才にして、偉大なる彼れの手筆を以てしては何ものゝ畫き難きものなかりしが如し。
 是と時を同ふして、またガーヂン(一七七五―一八〇二)出でしも不幸にして短命なりし。これに次いでコツトマン(一七八二―一八四二)ドウイント(一七八四―一八四九)また同時に出で、よく秀抜なるスケツチをなせり。
 コツクス(一七八三―一八五九)は以上の諸天才と比肩し得べきものなり。
 かくてこれ等の人の技法を傳へし、コリアーに至つて始めて現代の畫家に接するなり。この他猶水彩畫に巧なるもの非常に多く、殊にこの技の尤もよく發達したる英國のことゝて、畫筆をとるものにして水繪を描かざるもの殆どなしと雖も、要するに上記諸家の流れをくめるものたり。(K生譯、美術新報)

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