太平洋畫會の水彩畫
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第三十九
明治41年7月3日
五月十七日より六月十四日迄上野公園竹ノ臺陳列舘に開かれた太平洋畫會展覽會の出品總數は彫刻及ぴ淺井氏の遺作を併せて六百七十六點、内、水彩畫は實に三百十五點の多數を占めてゐる。そして筆者は松山忠三、志賀正人、夏目七策、大橋正堯、建部昌滿、磯部忠一、森田恒友、赤城泰舒、關晴風、丸山晩霞、三上知治、鶴田五郎、松浦政次郎、茨木猪之吉、岡本周平、長谷川曾一、明石精一、相田寅彦、藤島英輔、鈴木錠吉、福原霞外、織田一麿、吉田ふじを、中川八郎、藤田輝一、松原一風、武田壽、鈴木一治、石井柏亭、佐藤圓重、八木定祐、吉田博、星野光之助、田上勉輔、平木政次、中村元吉氏及び私を合せて三十七名である。
會場へは十數回も往たが、いつも事務のために緩々繪を見て居られない、爰にはたゞ瞥見の際感した事を少しく述べて見やう。
昨年來評判のよい中川氏は大小九點の出品がある、二三九『嚴寒の後』は、謹嚴な描法で、例の才筆があまり目に立たぬ、雪に掩はれた山の感じも充分に出てゐる、佳作ではあるが慾には水面に今一段の用意があつて欲しい、浮氷といふことは説明なしでは一寸解し惡いであらう。二四一『黄昏』、二三六『霜の朝』共によく心持が現はれてゐる、二四四『入間川の秋』、二四五『秋のくれ』の如きは一度拜見すれば澤山で、同一畫題を繰返すには何等か新しき研究があつて、前のものよりも進んでゐなくては難有くない。二三五『落花』、二四三『春雨』の如きは素人目にはさぞ美しかるべし。
吉田博氏も世界漫遊中の作三十二點、歸朝後の作が十一點ある。二九三『富士山』は其大なるもの小島氏の評が余の思ふ處よりも猶多くを語つてゐるから爰には言はぬ、三〇二『月見艸』は大なる人物畫で、形に批難はないが月の光としては影の色が如何のものにや、三〇四『東大寺の仁王』、二九五『神鹿』は共に佳作である。氏の作は何れを見ても詩趣に富んでゐて結搆であるが、何となく淺いやうに思はれる、今一息突込んで骨のあるものが見たいと思つた。次に外遊中の中ではグロスダー邊で描かれたものがよい、米國南部での作は色彩に落つきがない。吉田ふじを女史は外遊中の分四十點、日本の分五點を數へる。前者は何れも面白い出來であるが、日本に於ける作は稍々劣れるやうに思はれる、二二六『二月堂』はよい、二三二『春日の朝』は感服出來ぬ。
磯部忠一氏の作は小なるものゝみで十二點ある、氏は近來非常に進歩せられたやうに思ふが、其作には出來不出來が著しく見える、一九四『風』、一九五『夕暮』、二一三『池畔』、二二二『赭牛』の如きは傑作であるが、二〇二『沼津の富士』、二三二『初夏の緑』、三〇五『靜浦』の如きは前者と別人の如き感がある。藤島英輔氏も十點の出品がある、三一二『天津』は引紳しであらうが、位置も惡るし色も落つかぬ失敗の作である、三〇八『朝凉』三〇九『暮靄』の如きはあまりに色を殺殺し過きでパステルのやうに見える。
石井柏亭氏の出品は十點あつて、何れも振つてゐる、中にも二五六『二月堂』、二六二『温泉場の一隅』は頗るよい、かゝる場處の感じを旨く現はすことは恐らく氏の特長であつて、他の人は一寸眞似が出來ぬ、二五七『雪消の澤』はこれに次く佳作は思はれる。二五九『春日野』は稍々亂雜である、二六三『房州南端』は私は好まぬ、二六〇『舞姫』は簡單なスケツチたがまく其趣きが出てゐる。
三上知治氏三點の出品中では、二二七『清水の廻廊』がよい、色に落つきがあつて澁い出來である。一九六『瀧の尾』は暗き森と明るき山との對象に重きを置かれてゐるやうであるが、少しく故とらしいやうに見える、前景の草のあたりも描寫が不親切である。
大橋正堯氏は僅かに二點の出品である。二九二『殘菊』は靜物を見るやうに思はれた、菊と背景とがあまりに離れ過て拵へた蹟が見える、一六四『冬』は氏の本領ではあるまい。
丸山晩霞氏の出品二十點。一七二『菊』、一八〇『五月』、前者は桑の葉の黄なるを背景として菊畑を寫せしもの、後者はゆかりの色深き藤の花を主題とせしものにて孰れも好もしく感じた、水彩畫で花を描く人は澤山あるが、今のところ氏の右に出る人は見當らぬ。小笠原の寫生では、本誌に出た一七八『白沙の濱』が一番よい、それに次ぐは一七五『屏風谷』で、大作一八四『森』はあまりに植物の状態を描き過ぎて標本のやうな感じがした、一八三『山村夏雨『も私の好む所である、一九〇『薄日の妙義』は小島氏の評に讓る。
氏の緑の研究は久しいものである、由來緑色は其偕調を得ること尤も困難なものとしてある、况して吾國の緑は實に複雜で、其研究も甚だ至難な事である、丸山氏が此至難の方面に向つて研究か續けゆかるゝは多とすべきである、其前途遠き、即ち今研究中の氏に向つて無理な望かは知れぬが、今迄現はれた氏の作品に於ける緑にはまだ滿足出來ぬ點が多い、一般の評も、黒いとか重いとかの批難があるが、私も同じ感じを抱かざるを得ぬ。そして信州の緑も小笠原島の緑も同じやうに私には見える(實際同じかも知れぬが)、所謂ローカルカラーがよく出てゐないやうに思はれた。
其他、關氏の一七〇『たそがれ』は一寸よい出來である。茨木氏の作は一種の面白味はあるが色彩が主觀的のやうである。長谷川氏の作には昨秋文部省展覽會で見たやうな調子のよい物は見出さなかつた。志賀氏の一六六『靜』は一寸感じが出てゐるが色が貧しい、三二四『森』は徒らに畫面の大なるのみにて何等の印象を與へぬ、大作とは畫面の大を意味せぬ。
日本水彩畫會研究所側の出品中では、夏目氏の一六二『裏の婆さん』は佳作である。松山氏の一九一『荒川』は靜かな感じがあるが、圖取りが巧でない、明るい部分が多過た、小笠原スケツチは雜駁である。赤城氏は一九二『秋の日』が一番よい、この繪はマツトの色が不調和のため大なる害を受けた、三二一『春の海』もスケッチとして面白い。松浦氏の二〇三『冬』は色が單調である、筆は面白いがまだまだ筆先などに苦勞するのは早い、三二七『漁村』は結構な出來である。相田氏の三〇八『木の下』は失敗の作で、構圖が甚だ拙である、三三二『雜司ケ谷』の方が忠實で色も豐で大によい、同氏の繪は色に筆に才氣が溢れてゐる、才を馭するはよし、才に弄さるゝ勿れ。鈴木錠吉氏の作はとりどりに面白い、氏は圖案に於て一頭地を抽いてゐるが、水彩畫もまた異彩を放つてゐる、技に於て熟さぬ點もあるが着眼が非常によい、二四八『街道』の如きは其勝れたるものであらう。鈴木一治氏も其着實な研究が畫面によく現はれてゐて頼母しい、三一八『夕ぐれ』はよい出來である。田上氏の三二二『日枝神社』は、曾て本誌に出せし氏の卒業製作である、色彩の沈靜なると、寫生に一のゴマカシのないのとは此繪に敬意を拂はしめる。八木氏佐藤氏は評なし。
終りに淺井先生遺作の水彩畫について一言したい、私は先生の作を評するのではない、一覽の際感じた事を述べるのである。先生の水彩畫は六十二點ある、初年の作もある、滯佛中の作もある、晩年の作もある、明るい繪、暗い繪、輕い繪、洒落な繪、研究的なもの、スケッチ的のもの其種類も元より一樣ではない、併しながら、押なべて俳味的な輕妙な作風であるといふことは言へやう、此畫風は先生の性格の發露したもので、殊更に修養して斯かる風を作ったのではない、偶然ではあるが、此日本畫的な氏の畫風は、油繪嫌いな人達にも决して惡しき感じを與へなかつた、先生自身が世に敵者を持たれなかつた如くに、其畫風も世人から愛好された、自已の作風が其時代の趣味と一致するといふことは稀なることであつて、此點に於て先生は幸福の人と云はねばならぬ。
如斯其作風は、過去及現在に於て主要なる位置を占められたが、併し將來は如何なものであらうか、かゝる風も有力なる要素として存在すべきは勿論ではあるが、深きを求め、強きを求め、熱きを求め、徹透せねば止まぬ近代的思想を有する人々に對して滿足を與ふることが出來るであらうか、私は疑なきを得ぬ、時代の要求は如何なる點に向ふべきか、私は今こゝに豫言することは出來ぬが、若し繪を學ぶ人々が、先生の水彩畫に醉ふて、自己の本領を忘れ、其精神を學ばずして形式を眞似るやうの事がありては害あつて益なしと思ふにより爰に一言を加へたのである。